【蜜色ラメント】






「あ〜、だるい…。」

軍人にあるまじき失態だが今現在スザクの体調は最低ラインを低空飛行中だった。ぼんやりする視界に地響きがする頭、全身の血液が沸騰するような感覚とくれば自ずと答えはでる。風邪である。それも熱は38度はあるのではないか、と思われる。おとなしく寝ておけば良いものを、しかしそうもいかないのは全てルルーシュに会うという煩悩が幼気な体を叱咤するからで。内心そんな自分に呆れながらもスザクは無意識に意中の人を探し求めていた。そして二階に上がる階段を一歩踏みしめた瞬間、踊り場にスザクは愛しい人の後ろ姿を見止めた。相変わらず艶やかな黒髪は朝の光に輝いていて、細い物腰や優雅な立ち姿はスザクの心をぐっと捉える。

「おはよう//るる。」

むぎゅっとルルーシュを後ろから抱きしめる。相変わらず細いなぁ、と熱に魘されながら、低い体温に幸せを噛み締めていると前方に盛大に顔を引きつらせたリヴァルがいた。何故か。別にルルーシュに抱きついているだけなのに、リヴァルは自分とルルーシュが最近付き合い始めたことを知っているはずだから別に驚く程のことでもないのに、とぼんやりとした頭で思考を巡らす。しかし違和感は自分が抱きついているルルーシュから突然やってきた。徐々に腕の中で違和感を増す体。それもそのはず、力一杯巻き付けていた自分の腕をルルーシュが同じく力一杯押し返して来ているのだ。

・・・・これはまずい。

と思ったときにはもう遅かった。見上げたルルーシュの瞳は赤い光彩を怒りで更に煌めかせ、自分の体に抱きついている不埒な輩(すなわち自分)を今まさに獲物を狩り仕留めんとする捕食者の形相を呈し睨み付けていた。

「朝っぱらから良い度胸だな、枢木スザク。」

ゼロ…という言葉は発せられる事なく潰える。地を這うような声と共に顎に激痛が走り、視界は天井から床へ放物線を描いて消えていった。決まったな…裏拳と、人ごとのように呟く頭は最後に辛うじて涙目になっているルルーシュの姿を捉える事に成功した。

視界が、暗転した。






弁解の言葉が届かない。必死でのばした指先は擦りもしない。あぁ、どうして僕はこんなに間が悪いのだろう。今まで一度だって間違えたことはなかったのに。風邪の性にするにはあまりにも自分が情けなくて、いっそ泣いて叫べば振り向いてくれるだろうか、なんて更に情けない事を考える。

違う。違うんだよ、ルルーシュ!

僕が好きなのはいつだって君で、愛しているのは君なんだ。どっちでもいいなんて思ったことは一度だってない。だってそう思うには二人は違いすぎるんだ。立ち方だって優雅なのは変わらないけどゼロの方がどちらかというと男らしいし、君は右に少し重心を傾ける癖がある。腕の組み方、振り返る仕草、声、笑い方、手を伸ばしてくる時の指使い、ほんのちょっと首を傾ける、そして優しく、優しく君は…

「ルルーシュ!!!!!」

「五月蠅い。」

がん、ばしゃっ、と聞き慣れた音が自分の視界と目に降り注ぐ。一瞬明るくなった視界は、何故か無機質なもので塞がれた。そして同時に顔と髪を濡らす冷たい水。この感触は…・洗面器だ。(ちなみに何故洗面器の感触に覚えがあるかというと小さい頃一緒にお風呂に入った時散々ゼロに洗面器を投げつけられたからだ。)

「えっ、う・・ん、と、ゼ、ロ?」

「寝言でルルーシュルルーシュと、一体何回呼べば気が済むんだこの草履虫!!!」

なんで草履虫…という突っ込みは意味がないので止めておく。それよりも、と自分の顔の上にのせられている洗面器であろう物体を除けさせようと手をかけるが、力を込めるよりも早くゼロが全体重をかけてそれを自分の顔面に押しつけてきた。ふがが!と呼吸とも叫びともつかない音が自分の口から漏れる。痕がつく痕が!(そういう問題でもない)

「ちょっ、ゼロ!ゼロ!しっ」

「死んでしまえ…。」

ぐりぐりぐり、と恨みを込めて洗面器を押しつけてくるゼロ。鼻が潰れる!というかこのままだと本当に草履虫みたいに平らになる!という叫びにも耳を貸さず、ゼロは更に腕に力を込めてくる。

「鼻が潰れてしまえば少しは見れない顔になるだろう。」

「駄目だって、むぐっ!る、るは僕の顔好きなんだから!」

「黙れ。威張るな。貴様の意見は聞いていない。」

ぐえ!とカエルが潰れたような声を上げると、ようやくゼロは洗面器を自分の顔からどけた。熱で真っ赤になっていた顔が更に真っ赤になっているのが自分でも分かる。洗面器には水が入りっぱなしだったようで僕の顔はベッドも含めてびしょびしょに濡れている。また熱が上がる…と落ち込みながら顔を上げるとそこには魔王よろしく破壊的なまでに凶悪に不機嫌顔のゼロがいた。

「おい、貴様。」

「…なん、でしょうか…?」

「ルルーシュと付き合っているというのは本当か?」

重低音の声。答えないと殺されるだろうか?答えても殺される気がするけど…、とコンマ0.7秒悩み結局は答える、という選択肢を選ぶ。正直に告白して愛のために殉じるならともかく、隠し事をして首を絞められる方が余程怖い、という結論だった。はい・・と蚊の鳴くような声で答えたが、届いたかどうかは杞憂に終わった。返事の代わりに素早く靴の裏の感触が返された。枕とこんにちはをする自分の後頭部。

「つっ…ぅ!!」

「俺に報告なしとは、随分と嘗められたものだな?」

答えられない、というのは後ろめたい想いがあるからで。僕らは意図してゼロに隠していた。実は今週の日曜にちゃんと正装で伺うはずだったのだが、そんな予定は単なる言い訳にしかならない。けれどゼロは意外にもその事について直ぐに話を切り上げてきた。まぁそれはともかく、と溜息をまじえ、次には鮮烈な赤が自分の緑彩を射抜く。

「よくもルルーシュの事を泣かせたな。」

彼の怒りの琴線はわかりやすい。自分の大切な人を害したかどうか、だ。それで言えばゼロが早々にこの話を上げてきたことは予想通りだった。普段なら控えめに答えただろうけれど、正直言ってそのことについては自分だって不本意だったから、だから不機嫌な顔に殊更不機嫌な顔を返した。

「それについては僕の落ち度だったからルルーシュにはちゃんと謝りたい、よ。普段なら絶対間違えないし、そもそも僕はルルーシュ以外にあんな事しない。」

「熱で魘されていた頭では二人の見分けがつきませんでした、と言い訳しながらか?お前、ルルーシュなら自分の事を分かってくれるはず、等と甘えた事を考えているんじゃないだろうな?」

辛辣な言葉は容赦なく放たれる。思わず顔を顰めて、僕は自分の感情を隠すことに失敗した。

「…意地が悪いね、ゼロ。」

「こういう事は図星というんだ。図々しい奴め。」

たかが熱如きで俺たちを間違えるな、とトドメの一言を刺されて僕は押し黙る。本当は弁解の仕様もなかったのに、した弁解。そして封じられた。情けなくて声もでない。俯き黙り続けている自分の傍で、ゼロはベッドに腰掛けた。

「間違えるなよ。」

何を、とは言わなかったけれど、常にはない優しい色を含んだ声音は誰に向けられたものかは明白だった。顔を上げた自分に向かってゼロはちらりと視線を投げかけ、ついでベッド脇を指さした。そこには暖かい湯気を立てるお粥、と冷たそうなお茶と薄い色味のゼリー。

「全く、ルルーシュもこんな奴のどこが良いんだか…。」

腰を上げて呟いた言葉は、ほんの少し呆れを孕んでいた。けれどそれは隠しようもない愛おしさの裏返し。そして僕も同じように愛おしい視線を、用意された料理に向けた。

絶対に残すなよ、というゼロに、僕は当たり前だろう?と強気に返した。


玉子粥は懐かしさと暖かさ。冷たいリンゴのゼリーは喉をそっと潤した。









end