【裏第四話 その存在がゼロ】






倒れた椅子、薄暗く陰湿な部屋、壁全体から染み出る臭いは間違いなくここが独房であると内部にいる人間に知らしめる。狭い空間にいる数人の人間が散り散りになる中、ジェレミアは床に横たわる白い体躯の青年に近付いた。その彼の背後でアシスタントの男性が服に付属している黒いバンドを次々と外して行く。漸く自由の身になった彼は、体勢を立て直すとすっくと立ち上がった。横に立っていたスザクに暴行を加えた役柄の男が、心配げに顔を覗き込む。

「大丈夫ですか?」

「えぇ。どうという事はありません。」

メイクで付けられた傷を親指で拭いながらスザク君は笑った。そして舞台を降りて行く。そこには所謂『純血派』と呼ばれる登場人物達が待ちかまえていた。皆それぞれの衣装に身を包んでいる。ジェレミアも、彼の後ろに続くようにセットを降りた。

「随分派手にやられてたわねぇ。」

妖艶な仕草でヴィレッタがスザクの頬に指を這わす。スザクはその指をのけさせる事はせず、やりたいようにやらせていた。ある意味大物だな…、とジェレミアは思わずにいられない。ヴィレッタ・ヌゥ、最近テレビに出ずっぱりの女優であるがその色気は知る人ぞ知る、という動作全てにおいて洗練された女性である。ただ私生活は謎に包まれている為まことしやかな噂が色々絶えない。信じたいような、信じたくないような、男にも夢を見させてくれというような噂が。ヴィレッタの隣でキューエル君が何だか少し悔しそうな顔をしているのはスルーしておく。

「次は外に移動だ。」

「また強硬スケジュールですね。」

ふん!と鼻で笑うかのような様なキューエルの言葉に、スザクは至極平静に受け答えする。さぞ笑顔も爽やかだろうなという声音をジェレミアは背後から伺っていた。何だか背中から黒いオーラが滲み出ているような気もするが気のせいだろう。同じくキューエル君が引きつった様な複雑な顔をしているのも気のせいだろう。スザク君は挨拶もしっかりしているし笑顔も好感が持てる、良い青年だ。キューエル君は年相応の若干利かん気な所もあるが根は良いヤツだ。休み時間にゴミを仕分けして捨てていたのを見た。そんな二人の不穏な様子は、きっと気のせいだろう。間に散っている火花もきっと…。

「ヴィレッタさんその衣装似合ってますね。」

「お世辞を言っても何もでないわよ?…ふふっ、でも実は私も結構気に入ってるのよね。」

「そうだと思いました。」

笑って受け答えするスザクに、ジェレミアは内心感心する。職場の円滑な人間関係は非常に喜ばしい。やはり彼は瞬時に周囲に同化する能力を兼ね備えているな。その横でまたもやキューエル君が複雑な顔で二人を見ている。何だかうずうずしている。どうしたんだろう、トイレに行きたいんだろうか、それなら早く勧めないと、と口を開きかけた瞬間、キューエル君が「あの!」とやたらと大きい声を上げてヴィレッタ君に話しかけた。

「あのっ!私も‥似合っ」

「ヘタレは黙ってなさい。」

ピシャリ!と鞭の音が聞こえてきそうな程低く厳しい声でキューエル君の言葉が遮られる。女王様、そんな単語が現場を光速で駆け巡った。キューエル君の存在が見る見るうちに萎んでいく。あぁ可哀想に…。でも今のは別にキューエル君が悪い訳じゃないと思うよ?ヴィレッタ君、と内心で語りかけてみる。それが通じたのか否か、ヴィレッタ君は項垂れるキューエル君に笑いかけた。そんな笑顔も出来るんだ、という程優しい笑顔にジェレミアは我知らずドキリとしてしまった。

「まぁでも…・貴方の顔は嫌いじゃないわ。」

「え!?本当ですかっ!!?」

「えぇ本当よ。顔は結構好き。あくまでもその1:9分けの前髪が無かったら、だけど。」

にやり、そんな音が聞こえてきそうな以下略。訂正、女王様は女王様でした。全然優しくありません。そんなの俺のせいじゃないのにー!!!と悲痛な叫びと共に床に這い蹲るキューエル君はスタッフにしか見向いて貰えず意中の人からは全力でスルー。可哀想に…・そんな心の独白がそこかしこから聞こえる。本当に可哀想に。あんまりだと思うよヴィレッタ君、と話しかけようとした瞬間、スザク君が天使のように爽やかな笑顔でヴィレッタ君に話しかけた。未だ床に蹲っているキューエル君の存在は無視されている、気がする。気のせいだろう、人の良い彼がまさか。

「相変わらず治ってませんね。初対面の年下男を弄る癖。」

そんな癖があっていいものか、とその場にいた全員が思った。しかし明らかに非常識な発言をスザク君は至極普通に言ってのけている。やはり彼は大物だ。

「気持ち良いモノ、止められるわけがないじゃない。大体こんな事ぐらいで凹むような惰弱な男、自然界には必要ないわ!」

そんな事を言ったら男子の生存率は30%を切ると思うのだが…。

「それもそうですね。」

えっと、笑顔で同意してしまうんだねスザク君、とジェレミアは突っ込みきれない。むしろその場にいる全員が突っ込みきれない。

「貴方も相変わらずね。流石、初対面で私の言葉責めをその笑顔で爽やかに一蹴しただけあるわ。腕上げてない?」

「いえいえ、まだまだですよ。ヴィレッタさん。」

何だか言葉尻だけを拾えばもの凄く良い先輩後輩関係だ。そう、言葉尻だけを拾えば。おかしな単語は全力で無視しなければならない。本能が告げている。未だキューエル君は床と一体化している。これは立ち直るのに時間がかかりそうだな‥でももうそろそろ次の撮影の時間‥

「あっ、そろそろ移動しないと。」

「あら?本当ね。こんな所でヘタ男にかかわずらっている場合じゃないわ。」

ずんっ!そんな音と共にキューエル君が床にのめり込んだ気がする。かわいそ…うん、いや、気のせいにしよう。私も次の撮影場所にいかなければならないのだから。出口の方を見れば早速移動し始めたスザク君がさりげなくヴィレッタ君をエスコートしている。紳士の鏡だね、彼は。

「でもヴィレッタさん、ルルを弄るのは止めてくださいね。」

「遅かったわね、もう弄ったわよ?かわい〜く弄っている事に気付いて貰えなかったけど。天然ね、あの子。」

「じゃあ今度からは止めてくださいね。」

その後に続いた「俺が弄るので。」という言葉は空耳だろう。爽やかな好青年の彼がそんな発言を以下略。それにしても相変わらず会話が弾んでいる。羨まし違う、やはり彼は大物…。一人悶々と頭の中で会話を続けていると段々と足音が遠のいていき、スタッフも移動をし始める。しかし未だ床にのめり込み続けるキューエル君に誰一人見向きもしない。幾らか男性スタッフの同情的な目はあるものの。このままではいけない、と彼の肩に手を伸ばしかけた瞬間、キューエル君ががばり!と起きあがった。

「おのれ枢木スザクっ!!!」

よくもヴィレッタさんを!!!と怨念の唸り声を上げてキューエル君は立ち上がると、地響きがなるのではないという勢いで走り去っていった。うおおおお!!!という叫びが段々と遠のいていく。すると撤収した役者とスタッフでがらんとしたスタジオに、静寂の帳が降りた。しんしんと降り積もる静寂の中、ジェレミアは何とはなしに出口を眺めていた。

いや、キューエル君、スザク君は君に何もしてないよ?この場合君を弄ったヴィレッタ君を恨むべきじゃないかな?いや、恨んじゃ駄目だけど。うん、それにしてもみんな個性強いね。これから純血派同士で上手くやっていけるか心配だよ。私にヴィレッタ君をどうにか、どうにかしようと言うのは烏滸がましいけれどせめて諫めるぐらいしたいものだね。その点スザク君はやっぱり凄いものだ。年甲斐もなく見習いたいと思うよ。でも今日は随分スザク君様子がおかしかったなぁ。最初楽屋に挨拶に来てくれた時は本当に爽やかにお土産までくれたのに。「実家でとれたオレンジです。」と笑いながら袋一杯にオレンジを。…彼の実家って農家だったけ?確か…、いや、考えるのはよそう。人の好意は素直に受け取る、という資質こそ人間に必要ではないか。ところで…


「次の移動場所ってどこだったけかな?」


全力で置いてけぼりをくらったジェレミア・ゴッドバルトはこの後一時間スタジオを彷徨い、次の週ヴィレッタとキューエルから段ボール箱いっぱいのオレンジをプレゼントされる羽目になる。









end