永久に共にありたいと願う心は、今の貴方には届かないのですね。
【ふたつのマリー】
「失礼します。」
凛とした声は、扉に跳ね返って廊下へと響き渡る。中からの返事はなく、けれど気にすることなく扉を開けるとまず目に入ってきたのはだらしなくソファに腰掛ける人物だった。右手には空っぽのグラスが握られている。その人物は僕の姿を認めると、ゆるく口元を綻ばせた。
「相変わらずだねぇ〜キミは。」
相変わらず、が何にかかっているかについては深く考えなかった。ただその言葉をそっくり返してやりたい衝動に駆られる。それを見抜いたのかは知らないが、彼は長い足をソファーから降ろし、僕に歩み寄ってきた。頭1つ分高い、彼の吐息からは酒の匂いが微かに漂ってきた。
「ルルーシュは?」
「さ・ま付け。」
でないと怒られるよ?と可愛く首をかしげて訂正する。けれどやっぱり目は笑っていなかった。僕はそれに反するように綺麗に笑って、それから視線をベッドに移した。薄いカーテンの向こうにふくらみを持ったシーツが浮かび上がる。ルルーシュ、まだ寝てるんですか?とまた様をつけずに尋ねる。それは一種の、命懸けの賭だった。
「うん。昨日は夜遅くまで本読んでたから。」
「それで、貴方は酒を飲みながら護衛なのですね。」
「優秀な護衛なら、扉の向こうにもいるしねぇ〜。」
賭は意外にもすんなりと終焉に向かった。彼は目を細めるでもなく、笑みを消すでもなく淡々と、簡単に僕の質問に応えてくれた。それは多分、相手にするまでもないと判断されたのだろう。想像に難くない結果だった。馬鹿な賭に乗り出した自分を心の中で嘲笑しながら、それでも背筋を伸ばすことは止めなかった。それだけが今の自分に出来る事と自覚しての、精一杯の抵抗だった。僕とこの人の間には乗り越えられない壁がある。文字通りの壁も。
それは、扉一枚の距離。
一晩中扉の前に立って、護衛をしていた自分と部屋の中で護衛とは名ばかりに主と共に過ごしていた彼。これでも、騎士という立場は同じだ。ただその他の全てがあまりにも違いすぎるだけ。
望まれた者と、望まれなかった者。
力ある者と、力なき者。
正直な話、僕はこうやって主の近くにいれるだけで奇跡なのだ。ただこの屋敷で、主に仕える人間が極端に少ないからという理由に過ぎない。余地のない選択肢からただ偶然に選ばれただけだ。情けない限りである
「で、なんの用?」
「お話をしたいと・・・」
「『我が命をもって永久の忠誠を、我が体をもって御身の息災を、我が剣をもって不滅の栄光を、我が志でもって貴方の志を叶えることを誓います。』ね、は〜いぃ言っておいてあげるよ〜う、ねぇ〜?だからた・い・じょぅ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
ま〜だなにかぁあ〜る?と言われれば、いいえ、と言って下がるしかない。騎士がたてる誓いの言葉を、一言一句違えず詠唱した相手に殺気を覚えながらも。
「失礼しました・・・。」
一礼して部屋を後にする。心は未練まみれで、体だけは騎士らしく格好をつけて。無様な騎士が一人、部屋から出て行っても何も変わらない。昨日も、その前も、その前の前も。変わる日なんて来るのか、と瞼をふせて立ち止まる。そして、一度だけ出てきた扉を振り返った。
あぁ、これで今日はもうこの部屋には入れない。
+
「・・・ロイド?」
「お目覚めですか、皇子様。」
う・・ん、と艶めいた吐息を漏らしながらルルーシュは眠気を振り払うように伸びをする。細く白い腕が、同じく白いシーツの上を走る。ロイドは断りもなくカーテンをひくと未だベッドの上で寝転がる主を見下ろした。
「変な顔してる。」
眠気からまだ舌足らずな言葉。ルルーシュの言う、変な顔というのはロイドが決まって面白い事があった時にする顔だった。それも充分に裏を含ませた時に。
「随分なお言葉ですねぇ。」
「スザク・・・でも‥来てた?」
ロイドは、この男を知る人間なら驚くほど優しく笑った。そしてルルーシュの右手をとるとその甲に唇を寄せた。騎士に許された敬礼の行為は、美しくもありまた蠱惑的でもあった。それは勿論ロイドが行うからで、ルルーシュは眉を顰めると右手を引いた。しかしロイドは一層力を込めて自分の手の中にルルーシュの手を握り込む。逃れさせず、離れさせず、そうやって捕らえた右手に再度、丁寧に口付けた。
「ロイド…。」
ルルーシュは殺気を含ませた視線で自らの騎士を見る。ロイドは顔は伏せたまま、目だけ上げるとルルーシュの瞳を見つめた。悪びれもしない、不遜ともいえる態度。
「お許しはいただきましたが?」
「否定はしない。」
「では肯定していただいた、というコトで。」
「そこまでは言ってない。」
朝から微妙な言葉の攻防を繰り広げる主君と従者。先に文字通り手を挙げたのはロイドで、ルルーシュは溜め息ひとつつくと寝台脇に用意されていたシャツに腕を通した。肌が薄く滑らかな生地と擦れ合う。ロイドは心得て次々と服を渡す。手伝いはしない。ルルーシュは自分で出来ることに人の手を借りること、皇族の無駄だらけな風習を嫌うのだ。
金糸で縁取られた黒の上着に袖を通し終えると、そこには美貌を誇るひとりの皇子が立っている。
ロイドは右手を胸の前に、左手を背に、平行にかざすとゆっくりと膝を折った。
騎士の公式礼をとり、いつも通りの彼の笑顔を顔に浮かべる。
「我が主、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。本日のご予定は?」
ルルーシュは笑った。片口角を上げて、皇族が皇族たる、傲岸不遜な笑顔で。
誰も害する事ができないその笑顔にロイドは楽しげに笑い返した。
「兄上に会いに行くぞ。」
弾む声は幕開けの鐘。
討ち入りに行くかのように、ルルーシュは低くはっきりとした声音で告げた。
共は二人の騎士のみ。
右手には蒼。左手には赤。
白は遙か後ろで彼を見守った。
end