あの時お前が言いたかった事が、今なら分かる。






【真夏ノ花】






「少しは手伝ったらどうだ？」

時折調子が悪そうに息を吐き出す掃除機。床を滑る動作だけは規則的に、ゆっくりと確実に進んでいくとごつんと白い物体にぶつかる。ぶつかられた方は険呑に、ぶつかった方は不機嫌そうにお互いに視線を通わせた。

「散らかしたつもりはないが？」

笑みとともにC.C.の長い髪がさっと揺れる。鮮やかな黄緑の髪と琥珀色の瞳を持った美少女は、意外と厚顔不遜だ。ルルーシュは掃除機の電源をオフにする。

「居候のマナーだ。」

「細かい男は嫌われるぞ。」

「気遣いのない女も嫌われる。」

それでも片づけておけ、とルルーシュはC.C.が開いていた本を指さす。一度つまらなさそうにルルーシュと本を見比べたC.C.だったが、溜め息ひとつでその言葉に従った。溜め息は余計だ、というルルーシュの言葉に、その一言も余計だ、とC.C.が返す。眉を顰めたのはルルーシュが先だったから、口勝負に負けたのもルルーシュが先。無意識に出た溜め息と同時に、掃除機の電源が入れられた。また不規則な排気音が部屋の中を満たす。

(物持ちの良いヤツだ。)

積み重ねられた本の表紙をはたき、埃を丁寧に落として本棚に並べていく。その中でC.C.は黄ばんだ背表紙の本が多いことに気づく。それらの本は大抵古書というほどのものでもなく、ただ幼い時より使い古されて古くなったのだな、と想像に難くないほどにはタイトルも中身も新しかった。ルルーシュが子供の時だからどの程度昔かはしれているが。そうやって興味本位にぺらぺらと本を捲るものだから仕事は中々はかどらない。漸く二段ほど終わった頃だろうか、青い表紙の本を大雑把に捲るとその隙間からひらりと何かが落ちた。それは、渇いた花びら。これはもしかして・・・

「おい、ルルーシュ。」

掃除機の音に負けまいと大声を出したのだが、少々大きすぎたらしい。ルルーシュがまた目尻に皺を寄せたのが分かったがC.C.は気にすることもなく先ほどの花びらをひらひらと振って見せた。一瞬、ルルーシュが目を見開いた。

「・・・・・・どこにあったんだ？」

このなか、とC.C.は左手で本を掲げる。表紙には金字で『四季の植物図鑑』と、日本語で書かれていた。ルルーシュは表情のない瞳でC.C.の手の中にある、乾燥した黄色い花びらを見つめた。

「向日葵の花びらだな？」

「あぁ、しおりにするために本に挟んでいたんだ…。」

「珍しいものをしおりにするな。」

C.C.の言葉にルルーシュは苦笑いすると花びらを受け取った。確かに、大抵は花弁の揃った小さな花をしおりにするものだろう。向日葵の花びら一枚をしおりにする人間も珍しい。だがこれをしおりにしようと言い出したのは、ルルーシュではなかった。

遠い記憶の中でいつも変わらずに笑う、小さな友達だった。






「ルルーシュはひまわり見たことある？」

「こんなに大きいのは見たことない…。」

見上げるほどに大きな花を指さしながら尋ねる友達に、ルルーシュは呆けた表情でそう返した。王宮では珍しい花が重宝され、飾られる事はあったけど以前見たひまわりはそれこそルルーシュの顔ほどもない小さな花だった。繊細とは言い難いけれど溢れんばかりの生命力に満ちた花はとても魅力的だった。それがどうだろう。あの時見た花よりもずっと大きく咲き誇る花が目の前にある。

「すごいね…。」

「気に入った？」

「うん。」

ルルーシュがそう返事すると、友達は何故か自分よりも一層楽しげに笑った。その笑顔が心底眩しくて、でも何でそんなに嬉しそうなのか分からなくて少し戸惑っていると、友達は全く笑みを崩さないまま、ひまわりの茎をぽきりと折ってしまった。

「あっ…。」

唖然とする自分を尻目に、にこにこと笑いながら友達はひまわりの花を僕の目の前に突き出す。遠かった花が間近に迫って、嬉しい。それにしても…

「何も折らなくても。」

「ルルーシュが気に入ったって言ったから。」

さも当然のように友達は言う。その曇り１つ無い眼差しには糾弾する事もできずに曖昧に笑うしかない。この友達は王宮育ちの自分より常識はあったが、こうやって時々突拍子もなく非常識な事をした。それはいつも自分が何か言った時に限られていて、あの花が綺麗だと言えば崖っぷちだろうと降りるし、あの実が美味しそうだと言えば見知らぬ人の家の木にもよじ登る。ルルーシュの方は勿論花は愛でるだけで十分だったし、熟した実も相応に美味しさを主張していたので反射的にそう呟いただけだ。けれど友達は自分が止めるのも聞かずに「大丈夫！」と繰り返しながらどんどん進んでいってしまう。幸いなのは友達にその行動力に見合うだけの頭も体力もあったことだが、ルルーシュとしてはできれば危険な事はして欲しくなかったので十分に気をつけて口を噤んでいた。だから、今回はうっかり口を滑らした自分の方に過失があったのだろう。この友達の事をよく把握している自分だからこその、過失である。多少理不尽な気もしないではないが。

「きれいでしょ？」

ひまわりの花を抱えて笑う友達。その明るい笑顔には、何よりひまわりがよく似合った。
血色の良い肌の色も、明るい茶色の髪も、夏の新緑のように美しい緑の瞳も。

自分は持っていなくて、持っていないからこそ憧れて。

ひまわりが自分に似合わない事なんて、一目見たときから分かっていた。それでも好きだったのは、自分が欲しいと思うものがそこにあったから。どんな時も誰かの気持ちを明るい色に染め上げる、そんな花でいたかったのだ。


でも、もういい。


自分がなれなくても、そんな人が傍にいてくれるから。だから、もういい。



「スザクはひまわりに似てるね。」



幼い言葉に綻ぶ、彼の笑顔が忘れられない。




”崩れてしまうな…。”




「････････っ！」

「ルルーシュ？」

思わず息をのんだルルーシュの顔を、C.C.が不思議そうに覗き込む。額には嫌な汗が滲み出ていて、かすかに手のひらも濡れていた。束の間意識が飛んでいた事を自覚し、それがC.C.の声で引き戻された事に奇妙な感覚を覚える。そして、かかなくてもいい汗をかいた事を知った。C.C.の手には、先から組織の剥がれ落ちそうな花びらが握られていた。

「…元に戻しておいてくれ。そのままに、しておきたいんだ。」

「花なんてしおりにするもんじゃないな。」

C.C.が、笑った。その言葉と、笑いの意味を量りかねて黙ったルルーシュにC.C.は投げかける言葉は持たなかった。ただ深く息をはいて呟いた。


「太陽がいなければ、咲く場所も、意味もないのに。」


自嘲気味な言葉を捕らえるには自分はまだ幼すぎて、
けれど手を伸ばすには背が高すぎて。



『それなら、ルルーシュは僕の太陽でいてね。』



あの時のあの言葉のその意味を。


片づける場所はどこにある。







end