【俺にとって、あなたはとても、大切な人】






他人から見ればそれは本当に些細な言葉。

激情のままに叫ぶわけでもなく胸を圧迫する悲愴に涙を流すわけでもなく、慰めるわけでもなければ同情するわけでもなく励ますわけでもない。自然な反応など何一つ返っては来なかった。

けれど、そのどれでも無い事が果たして薄情である理由になるだろうか?

答えは否、だ。人が当然陥る感情の渦に彼は飲まれることなく立ち尽くしていた。そして寄ってくる気配がないことに俺は寂しさと同時に安堵を感じ、ステンドグラスが散らばる床に手をついていた。そして彼が質問を交えて導き出した、俺への言葉は一つの肯定。

肯定の言葉。

その時俺がどれだけ嬉しかったのかなんて、きっと他人には分からない。
他人には俺が為した事をなぞって事実確認をしているようにしか聞こえないだろう。
冷たい言葉だと、もっと傍に行ってやれと、抱きしめて慰めてやるなりすればいい、と思うのだろう。そのどれも俺が欲しくなかったと言えば嘘になる。けれど俺は彼が簡単に人に手を差し伸べない事も知っていた。手を差し伸べる前に話し、状況を整理し、そして最後に体と体の触れ合いに辿り着く。それは真実彼らしくて、彼が彼である所以でもあった。

彼は人の痛みを知るが故に、下手な慰め方を知らない。同情する事の意味と意義も、励ます事が出来る時と場合も知っている。だからこそ下手に近付かない。

だからあの時彼が口にした言葉がどれだけの重みを持っていたかなんて他人には分かりはしないのだ。彼は肯定した。俺の罪を、その周りの対応を、そして為された結果を。それは結局がむしゃらに罰だけ欲していた俺自身をも肯定する事になった。彼は何一つ否定しなかった。罪の為に『死』を欲した自分も、その『罰』の為に彼を庇った自分も、今でさえ『罰』の為に『死』の道を突き進んでいる自分も。俺の存在そのものを、彼は肯定してくれたのだ。

軍を辞めろ、と。

彼の口から聞いた事は一度もなかった。彼はいつだってそうだった。中から変えていく、という自分の無謀とも言える信念に口を挟み持論を述べ、そして時に憤りと哀しみを見せる事はあっても止める事は無かった。そしてその理由を知った今でさえ、彼は止めない。自分の罰に殉じて死を望んだ自分を、彼は、否定しても良かったのだ。「死ぬな。」と一言口にしても。けれど彼はそうしない。その是非は人によって違うだろう。けれど、俺にはそれが嬉しかった。彼は知っているのだ。俺と、彼が全く違う人間だという事を。

そして違う考えを持つ人間を否定する事がどれだけ困難で、無謀であるかを。

見知らぬ人間の言葉など耳には届かない。ぶつけられた言葉の暴力なんて数知れず、痛いと思う事はあったけれどその全てが心に響いた事なんて一度も無かった。自分の心を揺さぶりはしない理由は、その人が自分にとって何でもない人間だったからだ。

けれど、もしそれがじぶんの大切な人からの言葉だったとしたら。

俺は自覚があるほどには意固地で、頑固で、真っ直ぐで融通の利かない性格だった。純粋である事は時として短所になりえる良い見本だと思う。それしかない、と思いこみ実際にそれしかできないのだ。それを大切な人から否定されたら、俺は立っていられるだろうか。


生 き て いられるだろうか。


答えは無い。けれど俺の中で、何かが壊れ欠け、失われる事だけは確かだと言える。
俺は彼は自分と違うからと納得して自らの道を進めるほどには強くなく、彼の言葉全てに耳を傾け自分の道を捨ててしまえるほど弱いわけでもない。矛盾に苛まれ、そして最後には自らが選んだ答えに(今に)認めうる正しさを見つける事もできず。

壊れるのだ、きっと、昔のように。

だから嬉しかった。彼が自分を否定しなかった事が肯定してくれた事がそれが彼だからこそ何より嬉しかった。彼はくれたのだ。俺が一番欲しかった言葉を。俺が一番恐れていた言葉と、真逆の言葉を。


俺の大切な人が、俺の存在をみとめたのだ。


嬉しいよ。
ありがとう。
感謝してる。
君が居てくれたことに、君のくれた言葉に、君が俺の、大切な人であることに。
俺は君が、





好きだ。ルルーシュ。









end
belief