【反逆者の告白】






無機質な音は思考を限りなく空虚にしてくれる。

ロイドは椅子に腰掛けながら流れるようなタイプの音を聞き、人ごとのようにそんな事を考えていた。今の自分の立場が普段の周りの立場なのだろう。客観的に聞かされると何とも味気ない音だが、本人にとっては意味ある0と1の羅列。つい最近の見合いの席を思いだし、彼女もこんな気分だったのかと思いながらそこで反省するような愁傷な精神など持ち合わせていない人間は殊更楽しげにある光景を見つめていた。

色とりどりのコードが絡まる白い玩具が真っ暗闇に浮かび上がる。
物言わず事為さず何処も見ていないはずの瞳が今は奇麗な蛍光の緑の光を放つ。
その目とは全く相容れない場所で、モニターの光だけを受けている人物。
幾つも開かれた窓が目の色を限りなく電子的なものに変える。

何処か人物の境界が曖昧になりそうな空間の中で、その人物はひたすら何かを打ち込んでいた。何を打ち込んでいるのか、知っているようでロイドは実のところ知らない。やらんとしていることは知っているが、やっていることは分からないと言えば正しいだろうかと、光速で打ち込まれる手元を眺める。白く細く、花を摘む方が余程似合いそうな指が今は人を殺す玩具を弄っているのだから、ある意味背徳的な光景だと笑みがこぼれる。するとそんな事は分からないはずのその人物がふと手を止める。まともに明かりもない部屋の内部に静寂が訪れる。

「おもしろいと思うか?」

「えぇ。おもしろいですよ?」

「何がだ?」

「何だと思います?」

普段と違って間延びもしない硬質な声で応える。年相応の口調に、道化のような鸚鵡返しを織り交ぜるとふっと、笑みが零れた音がして再びタイプの音が響き渡る。ロイドはまだたっぷりと湯気をのぼらせるコーヒーに口を付けた。ほどよい苦みと豆本来の味が口内を満たす。普段使われているインスタントとは比べものにならない味わいにロイドはひっそりと舌鼓を打った。そして同じように湯気を立てる白いカップが、今は無心で作業を続ける人物の隣に置かれているのを確認する。それは先ほど数口付けられたまま放置され、入れた本人をほんの少しもの悲しくさせていた。特にすることもないのでいつそれに口が付けられるか、ロイドは指折り数えて待っていた。この間視線は、刹那でさえ自分の愛機に注がれることなかった。タイプの音が鳴りやまない中で白い指が白いカップに伸びた瞬間、ロイドは心で歓喜の声をあげた。

「貴方も随分といい度胸をしていますね。」

「賭はここ最近趣味でやっていたからな。悪い癖がついたらしい。」

「賭ですか?これが。」

「あぁ。賭だよ。」

賭以外の何だと?と笑って尋ねられロイドは困ったように顎に手をついた。不意に飛び出た癖を直さず、背中の力を抜くと華奢な椅子の背もたれが軋む。もうその人物の視線はこちらにない。相変わらず秀麗で隙一つ無い美貌を余すところ無く讃えた横顔に見惚れながら、ロイドは自分の中の面白い思考に浸った。目前の人と自分の中で起こっている認識の違いは実に面白いと言わざるを得ない。

きっかけは偶然である。それはロイドも認める。藤堂の処刑執行人への起用の電話。だから自分の直属の部下である女性が、これまた自分の部下である青年を学園に迎えに行った。携帯という通信手段を持たない彼を呼び出す為には学園に直接電話をかける以外無い。しかしその日はもう授業は終わっていた。そこでそう遠くない、大学部と高等部の違いしかない学園に女性を迎えにやらせた。その時一体どんな会話が行われたのかロイドは知らない。だが呼んでいる、という事でロイド自身の名が出た事は想像に難くないだろう。そこまでは波に任せたが、その前にロイドは意図して糸を張り巡らせていた。軍人であり名誉ブリタニア人である彼が放課後も学園に残るとすれば理由はそう多くない。可能性としてその直ぐ傍に、自分が意図した人物がいるはずだったのだ。そしてその可能性は見事に的を射た。これがロイドの認識であった。

だがその人物はそれを本当に偶然だと感じた。ただ偶々見知った人物の名が飛び出て、そしてその部下が自分の親友であることを知り、つい先日のナイトメア戦でその親友が白い騎士に乗っていると知った。自分を知るその人は、そしてその白い騎士の作り手がロイドであることを知り、連絡を取ってきた。それは確かに賭けに見えるのだろう。長年会いもしなかった、ましてそう親しくもない、今は敵である人間に、最も素性がばれては困る人間にコンタクトを量るのだから。

だがロイドはそうではなかった。その人物の事を前から知り、そして一方的にも情愛を抱き心を傾け、心の中で密かに忠誠を誓い生きてきた。そんな想いを抱く人間に対して不利になるような事をするはずもない。まして長年生死すら分からなかったのに、それでも飽くなき想いを抱き続けてきた相手に。

糸は張り巡らされていた。

時にはロイド自身によって、時には直属の上司によって。その最たる者は自分の作った白いナイトメアだった。其処にかの人の親友がかかり、そして黒を纏う敵が掛かり、ついには皇女までも手に掛けた。そこから派生するように、主に一番の収穫は自分の部下となったが、アッシュフォード学園・特派・生徒会・婚約・と様々な糸が四方八方へと伸びていたのだ。その一本にかの人は掛かった。ただ嬉しい誤算は直接、ロイド自身が張った糸に掛かったことだろうか。そうして漸くロイドはその手に望みの主を得た。

「今日の『ランスロット』は随分と機嫌が良い。」

「お前によく似て変な奴だよ。それにしても悪趣味な名をつけたな。」

機械を人のように扱うロイドの言葉にその人は何の気兼ねもせずに返してくる。そしてまるで人のように扱われた返事に踊る心を押さえつけず、ロイドは素直に笑った。普段彼を知る人間が見れば不気味とも思えるほど機嫌の良い笑顔で。

「そうですか?生き方とか僕にそっくりだと思うんですけど。」

「……お前、愛に生きてるのか?」

「生きてますよ。貴方への愛に。」

心の動揺そのままの沈黙に直球な言葉を投げかければその人は一瞬目を見張り、次いで楽しそうに笑った。心外ですねぇ、と言えばまた一層笑い声が大きくなる。その笑いは喜びかはたまた純粋な狂気か。そして最後のキーが押され、モニターが光の残像だけ残して静止した。ロイドの入れたコーヒーを疲れを癒すように喉に流し込みながら、今は暗闇で光もない紫が白い機体に向けられた。言葉はない。けれど目が雄弁に物語る感情にロイドはほくそ笑む。そしてカップが上品な動作で机に置かれたのを確認すると同時にロイドは立った。その人も立ち、背もたれに引っかけてあった黒い上着に袖を通す。暗闇の中で一層の闇色を称えた装いが目に強烈な印象を焼き付け、ロイドは驚喜した。かの人の色、自分の好きな色。普段白ばかり纏うのはその対極にあるからに他ならない。この人以上にその色を纏うに相応しい者もおらず、また隣に立つ事がなければ纏うことは許されない。ロイドはそう自身で戒めていた。今はまだ汚れた白で、汚れない黒を引き立てよう。


「仕掛けは済んだ。後は『白の騎士』次第。俺は、最後まで待ち続けよう。」


詠うようにその人は言葉を紡ぐ。まるで不確定の未来を見据えての言葉に、ロイドは内心で反対の言葉を唱えた。それは確信に基づいた言葉で、ロイドは高鳴る胸を押さえることもなく何度も繰り返した。闇に溶けていく後ろ姿を最後まで逃さず見送りながら。


仕掛けは済んだ。(もうずっと前から)

後は『黒の皇子』次第。(『黒の皇子』は動かない)

僕は、最初から待っていた。(そしてこれからも)


――― だから未来は動かない。


見えない後ろ姿に詠われた未来。届かないことに悲哀もなく、ロイドは踵を返した。
真っ暗な室内で、照明を一身に受ける『白の騎士』が倣うのは、生き方ばかり。
愛を望み愛に生きた者は、けれどそれだけを胸に秘める。矛盾などない。


闇を称えた笑みの行く先を、見咎めるものはいなかった。









end
コード*7