【自由の功罪】
「矛盾の話をしようか?」
上司にそんな話の切り出し方をされれば誰だって数秒は止まりたくなるものだ。スザクも例に漏れずパイロットスーツに左腕を入れる直前で止まる。え?と漏れた声に上司はいつもの人をくった笑顔を浮かべていた。ここは更衣室で、何故彼がここにいるのかもスザクにはよく分からない。ただ突然押しかけてきては着替える気配もなく備え付けの椅子に腰掛け自分を見つめ続けていた。新手の嫌がらせだろうか、と考えあぐねていた所にそんな一言である。スザクはどう返すべきか、本気で思案した。
「前の話の続きですか?」
「続き?」
「……ナリタで、ほら、人が死ぬのを嫌うのに軍にいる、という。」
「あーそっちじゃないない。」
スザクとしては蒸し返したくもない話を恐る恐る口上に述べれば、ロイドは全く話の温度に似つかわしくなく軽く手を振って否定してみせる。スザクは中断し掛けていた着替えを取り敢えずは最後まで済ませ、襟を正してロイドを見遣った。話し出すタイミングが全く掴めない相手というのは会話に置いて酷く不快だ。
「君さぁ、騎士になったよね?」
「それは。まぁ。」
今更何を、とスザクは思った。他ならずスザクに騎士服まで用意して文句をたれながら書類やら何やらにサインをし見送り、尚かつあの儀式の場面に伯爵という事もあり居合わせていたではないか。数日前、スザクは騎士になった。それは動きようもない事実だ。それが矛盾の話に繋がるのか、と問えばロイドは頷いて肯定する。だがすぐに話し始める気配もなく、まるで悶々と頭を悩ませているスザクを一方的に楽しむ為だけに喋ったようにも見えるロイドに、スザクは少しずつ苛立ちを募らせた。もうすぐランスロットのテストのはずだが、肝心の技術者はここにいる。話をしよう、と切り出しておきながらじっとしている。更衣室を出ようか出まいか悩み、ついに耐えきれなくなって口を開こう、というところでロイドはすっと身を乗り出した。スザクよりずっと高い身長で威圧するように見下ろされる。アイスブルーの瞳がグリーンの瞳を覗き込んで、言葉を紡いだ。
「それが矛盾の話。君の矛盾。君は軍の中でもここ特別派遣共同技術部、通称特派に所属している准尉だ。今は第七世代ナイトメアフレーム『ランスロット』のデヴァイサー。ランスロットの開発者である僕が君の上司に当たるわけだが君が仕えている人はというとこの特派を作った人、第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアにあたる。つまり君はシュナイゼル皇子殿下の持ち物という事になるわけだ僕と同じようにね。ところが君はこのほど騎士となった。ナンバーズの騎士登用。異例のことだね?名誉なことだねぇ。それはさておき君は数日前騎士として主に忠誠を誓う儀式を終えた。主はここエリア11の副総督であり第三皇女ユーフェミア・リ・ブリタニア。ということは君はユーフェミア皇女殿下の持ち物となった。公式的にも。
さてここで問題ですが君は未だにランスロットのデヴァイサーとして活躍している。けれどランスロットは決してユーフェミア皇女殿下の持ち物ではない。同じく特派も。特派もランスロットもシュナイゼル皇子殿下の持ち物だ。だがデヴァイサーである君はいつ如何なる時も主の命に忠実に従う騎士でなければいけない。ということはユーフェミア皇女殿下が命をくだせば君はランスロットを動かさなければいけないわけだ。勿論この事にはシュナイゼル皇子殿下も合意の上、ユーフェミア皇女殿下とも話し合いがついているから別に職務上に問題はないわけだ。問題は君。君は特派に所属している以上自覚が無くともシュナイゼル皇子殿下に仕える身でありランスロットを駆る以上それはずっとつきまとうべき忠誠なわけだが一方でユーフェミア皇女殿下の騎士でもある。騎士である以上絶対の忠誠を誓うべきはユーフェミア皇女殿下だ。さて、君の主は誰?」
一息で洪水のように大量の言葉を浴びせかけ、ロイドは最後は謎掛けをするように質問をした。頭から順番に丁寧に確認事項を並べられてスザクの頭は最後まで疑問もなくついてきた。戸惑いもない。全て事実だ。確認しているだけ。だが最後の質問に関してスザクは盛大に冷や水をかけられた気分になった。薄い色の瞳が尚スザクの瞳を薄めるように捕らえ放さない。足が動かない。何か言わなければ、と思うのだが言葉は喉に張り付いて音にはならなかった。冷静になってみても喉から出るべき言葉すら、スザクの頭には一片たりとも浮かんでこなかった。さて、僕の主は誰?
「それは…」
「ユーフェミア皇女殿下かなぁ。騎士なんだから当然だよねぇ。ナンバーズである君を姉君の反対を押し切ってまで取り立ててくださった皇女殿下。彼女は実に、君と同じ美しい理想を持っているね。汚れなく真白で揺るぎない理想。同じ理想を持つ君ならきっととても良い騎士になるね。同じ道を歩んでいけるのだから。でもそうなると君は最初に君に力を与えてくれたシュナイゼル皇子殿下を蔑ろにしていることになる。子供じゃないんだからそんな事言っても拗ねないとは思うけどね、あの人は。でも不忠じゃないかなぁ、主を乗り換えるというのは。あぁでも同意は済んでるんだったね。じゃあ問題ないか。ところで君は皇子に一度だって『ランスロットを返します。』と言ったことは在ったかな?なかったんじゃないかなぁ。その事について話し合いはあったけどその前に言うべきだったんじゃないかな君は。模範解答を述べなさいって言う気はないけどそれってせめてもの人としての良心じゃない?最低限の弁えというか。でも『ランスロット』返しちゃったら君何も出来ないから騎士としても役立たずになってしまうね。それじゃあしょうがないか。」
「ロイ‥ドさ…」
「やっぱりシュナイゼル皇子殿下?一介の兵士である君が『ランスロット』のデヴァイサーになる事を許してくださった皇子殿下?最初に君を選んだのは僕だったけれど、それだってあの人の許しがなければ何でもなかった。あの人はブリタニア人とナンバーズを区別したりはしない。いつだって実力主義だ。ということは君はその才能を認めて貰ったと言うことになる。君の才能を認め、君が特派に所属することを許して君に公然とした力を与えてくださった。そのおかげで君はコーネリア皇女殿下を救え、ユーフェミア皇女殿下に認められる場を与えて貰った。つまり騎士候という名誉ある位を手に入れる機会を与えて貰ったんだ。君に、今の君の価値に全てを与えてくださったんだよ。恩がいっぱいあるねぇ。でも恩があっても今の君は騎士だからねぇ。当然、ユーフェミア皇女殿下に忠誠を誓わなければいけない。そういえばニッポンには『御恩と奉公』という言葉があるらしいけれどこれって別々だっけ?切り離して良かったっけ?あぁニッポンの文化に詳しくないからどっちか分からないや。」
名前を呼ぶ声は宙を舞った。そんな言葉など届いているはずもないように、ロイドはくの字に曲げていた体を真っ直ぐにした。体勢を整え悠然と構える。口元にはいつも通りの微笑みを浮かべ、けれど優しい色を含んだ笑みは弱者を慈しむような超越した笑み。まだ見下ろされたまま、スザクは背中に冷たい汗を感じていた。それは眼鏡の奥の瞳が一切の暖かみを灯していなかったからだ。どこまでも、冷たい瞳がスザクを追いかける。
「ロイドさん…僕は。」
「あぁ!そうだ言い忘れてた。」
何か言わなければ、と口を開いた。だがロイドはくるりと踊るようにスザクに背を向けた。何の前触れもなく、ロイドはスザクに背を向け更衣室の扉に向かって歩き出す。そしてその途中で思いだしたように放った言葉に先ほどの会話の一端は何処にもなかった。それは、答えに興味など無いという明確な意思表示だった。
「今度新しいナイトメアがくるんだよねぇ。名前は『ガウェイン』。『ランスロット』の兄弟みたいな存在かなぁ。性能もとっても良いんだよ。『ランスロット』と同じように、とても良い子だ。」
「…デヴァイサーは。」
「ざぁんねん!まだ決まってないんだ。でもきっと『ガウェイン』なら心配ないよ。きっととっても良い子が乗ってくれるはずだ。君みたいに彼の力を引き出してくれる子が。それに彼は『忠義の騎士』だからね。揺るぎない意思でもって、主を守ってくれるよ。だから心配はいらない。心配なのは、これは僕の見解だけど、君の方かなぁ?」
義務感でもって口を滑らせた質問に返ってきたのは、それ以上の答え。聞いてなどいない、答えを欲してもいない。それなのに、告げられた言葉にスザクは確かに心臓を握りつぶされる感覚を味わった。扉が閉じられた刹那、投げかけられた言葉をスザクは聞き取らなかった自分さえ知らない。
更衣室を出てすぐにロイドは自分の愛機の元に向かった。テスト時間は他愛ないお喋りのせいで大幅に過ぎていたが、それを気にする素振りはロイドにない。それを訝しんで尋ねてきたセシルに、ロイドは今日のテストは中止とだけ告げると左脇の階段を登り愛機の最も近くに足を運んだ。どうせあの様子では今日のテストの結果など目に見えている。であればさっさと終わりにして、彼が好きな所へでも向かわせてやればいい。ロイドは先日自分の想い人が座っていた場所に腰掛け、同じように『ランスロット』を眺めた。当然、そこに最早温もりは無い。けれどそんな事は問題ではなかった。ただここに腰掛けあの人が感じていた想いをなぞり馳せつつ、『ランスロット』を眺めているだけで良かった。
ランスロット
円卓の騎士。妖精に育てられた湖の騎士。騎士の中の騎士と呼ばれながら王への忠誠よりも王妃へ愛に生きた騎士。であればロイドは『ランスロット』の主が誰であろうとどうでも良かった。故にスザクの答えもどうでも良かった。彼が誰を主としようと、そんな事はロイドには一ミリも関係はない。ただ『ランスロット』が自らの本懐を遂げればそれで良いのだ。自分のように。
――― ねぇ、『ランスロット』。
スザクへと投げかけた最後の言葉。『白の騎士』は確かに『ランスロット』だ。性格もそっくりだ、とロイドは嗤う。嗤う理由を『白の騎士』は知らないだろう。
それでいい。
そして『ガウェイン』は主を定め、全てを捧げて活きるだろう。
悪趣味と笑われた古の『騎士』達はその名をなぞる。駒は揃っていた。もう、ずっと前から。
――― 待っていてください。
『白の騎士』は貴方の元へ辿り着くでしょう。
矛盾ばかりを抱え、そして最後には愛に生きる。
それ以外に生きる道など無いのだから。
end