【血まみれドレス】






目を開くと見慣れた人間が座って眠っていた。辺りを見渡すと非日常な風景が広がっていた。後ろ手に縛られたまま眠ったせいか全身が変に強張っている。状況を確認しつつ身を捩ると朝特有の冷めた空気が首筋を撫でた。カレンは思わずくしゃみをしそうになって息を止める。そして燻って消えてしまった薪の向こうで未だ眠り続ける人物を碧青の瞳で睨み付けた。上体を起こそうと腹筋に力を入れるが、十センチほど頭が浮いた所で止めた。乾いた砂に力無く沈む。ざり、と物音が立ったけれど相手は起きる気配が無かった。緑の瞳は伏せられたまま開く気配はない。水平線が僅かに白くなったばかりの、黎明といって良い時間だった。カレンは澄んだ空気で頭を覚醒させ、昨日の事を思い返す。主義主張をぶつけ合う議論は酷く精神的に疲弊するものだ、と思う。どんよりと濁った泥のような疲労感と共に得たのは言い表しようのない虚脱感。結局相手と自分がどこまでも平行線に沿って生きている事それだけだった。

――― 彼のやり方では、未来はないよ。

この男を説得しようとしたゼロは偉い、とカレンは本気で思う。昨夜繰り返した言葉の応酬で分かったのはこの男がどうしようもなく頑固だという事。カレンだって頑固さでは負けてはいないかもしれないけれど、彼のそれはひどく狭量で独善的だと思った。ゼロほど頭の良くないカレンにだって分かる彼の掲げるものの矛盾に、カレンはどうしようもない疲労感を募らせる。真っ向から対立する相手に自分の言葉を聞かせる事の難しさ、相手を理解した上で尚揺るがす言葉の選択、一方からではなく多方から物事を見定め、最終的に最良の結論を導き出す手腕。そのどれもカレンは持っていなくて、そしてそれを持つ人に憧れを抱く。武器を手に取り立ち上がって人を殺す事は、じつは酷く簡単なのだ。それに対して言葉でもって人の価値観を壊して掲げた目的に到達する事は難しい。ゼロは確かに武器を手に取る。だが彼が行っている事は大様にして後者だった。彼は言葉でもって、私達の、敵の、第三者の心を揺るがす。それに比べてこの男はどうだろう、とカレンは思う。カレンにはこの名誉ブリタニア人が、枢木スザクが力によって全てを変えようとしているようにしか見えなかった。名誉ブリタニア人になった。ナイトメアのパイロットになった。第三皇女の騎士になった。傍目にも彼が順調に力をつけていっているのは分かった。元日本人としては異例の事だろう。権力を身につけてそして、彼は一体何を残したというのだろうか?

――― 間違った方法で得た結果に価値はない。

カレンはその言葉を幾度となく聞いた覚えがあった。そしてその言葉を聞く度に胸に何かが突き刺さるのだ。それは決して自分の信条が傷つけられた事による者ではない、単純にそれを吐く者に対する気持ち悪さ。間違った方法というが、ではどうすれば我々は祖国を取り戻せるのだ。踏みにじられた矜持を壊された生活を、まさか大人しく日本人一丸となって主張すれば彼らが耳を傾けてくれるというのだろうか。仮にブリタニアの支配体制の中で力を付けて、それでどうなるというのだ。異物は排除される。ナンバーズなど、口を開けばそれ以上の力によって石を突っ込まれ二度と這い上がれない深い場所へ沈められる。良くて待遇改善だろうが我々はそんな事を望んでいるのではない。一刻も早い日本の解放。その為には目に見える形で結果が残されなければ無かった。そしてゼロはそれを残す。それはカレン達にとって真実正しさなのだ。それをスザクは間違っていると言う。ブリタニア軍から見ればそうだろう。カレンもそれを否定するつもりはない。だが、その判断が何故個人の中にしか無い事がこの男には分からないのだろうか。

「…私は、お前じゃない。」

遠くで鳥が啼いた。カレンが落とした呟きはその声に掻き消されたように、辺りには何の変化もない。スザクもまだ目覚める気配はなかった。何となく視線を下げれば開かれた自分の胸元があって、カレンは喉が詰まるのを感じた。そういえば見られたのだった昨日全裸を。どうせなら最後までチャック上げろよ、と中途半端に晒された素肌に溜め息が漏れる。しかも、と視線を上げればまだ穏やかな寝息をたてる男。カレンは足で砂を蹴ってスザクに引っかけてやった。白いパイロットスーツに砂がぱらぱらと音を立てて当たるのを確認して、息を吐き出すとそのまま足の力を抜く。やはりまだ起きる気配はなく、カレンは暇になって空を見上げた。全く無反応だったな、と思うと晴れた空が何だか恨めしい。大体同じ年頃の女の子を投げて押し倒して敷いて拘束、その間も一切反応無し。水浴びする自分に堂々と声を掛けてきたところからして褒めてやりたい。顔を背けるぐらい、すればいいのにと何だか怒りまで湧いてきた。ルルーシュでさえ、それぐらいの事はしたぞ。

「ルルーシュ…。」

口から漏れる空気のように、自然とその名前が口から出た。するとスザクが僅かにぴくりと肩を揺らす。瞠目してみると直ぐにまた規則正しく吐息が聞こえてきて、カレンは何故か胸をなで下ろした。そしてそういえば昨日は日常の話題が一切無かったな、と思う。状況が状況なだけに当たり前だったけれど、もし生徒会の話題が出ていればどうなっていたのだろう。特にスザクの、友達の名前を出せば。

ルルーシュ。

この複雑で単純な男の、殆ど唯一無二といってもいい友人。あの男も相当変わっているし特に執着もなかったけれど、ただ二人が普段どんな話をしているのかは気になった。ルルーシュは名誉ブリタニア人に対しても世間に対しても冷たい、一線を引いて斜に構えて見下ろしている風な気がある。そんな二人が友人関係を続けている事がよく考えれば不思議だった。一見かみ合いそうにない主義主張を持つ二人。けれど続けていられるという事はどちらかが相手の意見に対して一歩後退しているだろう事を示していた。特に不穏な空気を纏っていた事もない。性格的にルルーシュだろう、とカレンは推測する。スザクは一様に自分の意見に対して遠慮というものをしらない。誰彼構わず言いたい事は言う節がある。迷惑なことだ、好き勝手に生きている、と思うとまたとてつもなく疲れた。この疲労感は何だろう。自分を否定されたからか、自分の言葉に耳を傾けて貰えなかったからか、それとも、ただ相対する者の言葉に耳を傾けなければいけなかったからか。そのどれもが原因なんだろう、と思うとカレンは瞼が重くなるのを感じた。

あんたも偉いね、ルルーシュ。

彼もやはり人には言葉でもって対する人間だった。一度話をした時は勢いで打ってしまったが、冷静に考えるとその意見が間違っているとは思えなかった。謝罪するのも何だか違う気がしてしてはいないが、彼は彼で世間を見ている。そして彼と私とでは立場が違う。彼は生粋のブリタニア人だ。けれど蔑まれる名誉ブリタニア人の立場を考えて、あの時嬲られている名誉ブリタニア人を助けようとしたカレンの手を引いたのはルルーシュだった。何だかゼロと似ている、とカレンは思う。昔力づくで全てを取り戻そうとレジスタンス活動をしていたカレン達の手を引いて、守るべき秩序を与えてくれたのはゼロだった。だからカレン達は無意味な被害を避けていられる。そんなゼロに、ルルーシュは何処か似ていた。スザクが否定するゼロに。カレンの私見を告げればスザクはどんな顔をしただろう。眉を顰めて静かに怒ったに違いない。ルルーシュがゼロのはずはない、と。でも彼らは確かに似ているのよ。スザク、あんたはゼロに似ているルルーシュの意見を、否定できる?

「それがあんたにとって間違いなら、あんたは戸惑わないんだろうね。」

例え親友でも親でも、否定する者をきっとスザクは許さない。排除する。けれどルルーシュの隣に、スザクはいるのだ。その理由をスザクはきっと考えてはいない。自分がルルーシュの隣に甘んじていられる理由を。スザクはただルルーシュに甘えているのだ。彼が自分を許して、受け入れてくれる事を無意識に期待している。常に望んでいる。きっと、無理に理解して貰おうとは思わないというその口に、眼で理解して貰う事を期待しているのだ。そしてルルーシュは受け入れる。それはきっと好きだと、愛だとそんな言葉でしか括れないものなんだろう。平和な日常世界で彼はスザクの心を守っている。自分はルルーシュを好きなわけではないけれど、何となく間接的に彼を否定されている気がしてカレンは面白くなかった。勢い任せに上体を起こして、そのまま立ち上がる。見下ろせば茶色い髪が微動だにせず眼前にあった。蹴りたい衝動を抑えて、足場を踏み固める。拘束も緩んできているしこのまま逃げる事はできるが自分が先にゼロと会えるとは限らない。もし先にスザクがゼロと会ったらこの男は戸惑いなく仮面を取るだろう。身体能力も承知の上、防げるのはカレンだけだ。ならばこのまま一緒にいた方が都合が良い。自分はゼロの親衛隊。何があってもゼロを守らなければならない。それは義務と同時にカレンの希望。赤いパイロットスーツから砂がぱらぱらと落ちるのを見つめながらカレンは深呼吸した。そして、覚悟を固めた。

「スザク。私は揺るがないよ。」

私を動かせるのはゼロだけ。筋の通った言葉だけ。矛盾だらけの言葉では、私は動かない。私一人動かせない貴方は、これから先どうやって生きていくつもりなのだろう。失笑が漏れて、けれど直ぐさま口を結んだ。不謹慎な気がして姿勢を正せば、視線の先で朝日が頭を覗かせている。

――― ゼロ、待っていてください。

赤い衣装が煌めいて、カレンは光を正面から受け入れた。









end
belief