【三、二、一、……ダイブ!】
「ぶふぁっ!」
何とも言えない雄叫びを上げて白い液体を吹いたリヴァルをスザクはぶすっとした表情で睨み付けた。その不機嫌極まりない顔をまじまじと見つめつつリヴァルは自分の口を拭う。そしてただただ呆然と、どかりと正面の椅子に腰を据えたスザクの左頬を見つめ続けた。頬いっぱいを覆う白い布。それはどう見ても怪我をした痕だった。
「なっ、何があった!!?」
「うるせぇ。」
どうやらリヴァルの第一リアクションがお気に召さなかったらしく、スザクは凍り付くような声でばっさりと会話を切り捨てた。悪寒がまざまざと背筋を伝うのを感じながら、リヴァルは取り敢えず自分が汚した机をハンカチで拭く。あからさまな時間稼ぎをしながらリヴァルはじっとスザクの顔の白い部分を見つめ続ける。一度気になってしまえば目など放せなかった。
「まさかあの武芸十八般の達人のスザク君がこんな大怪我をするなんて…。」
「大袈裟すぎるっての。」
勿論大袈裟なのは怪我だけではない。だが柔道剣道弓道空手と、学生が部活動で制覇出来るであろう代表格全てにおいて達人級の腕を持つスザクに対してこの評価は大袈裟ではない、とリヴァルは思っている。別世界過ぎて正常な判断を下せていない自信はあるが、所詮素人の目などそんなものだ。そんなスザクが頬に、殴られたと思しき痕を残し学校に登校してきたとなれば一大事である。見渡せ教室を。自分だけではなくほぼ全ての生徒がちらちらと此方に視線を寄越してきている。その視線も気に入らないのであろう、昼休みに重役出勤してきた御代人は終始不機嫌だ。
「で、実際何があったわけよ。」
リヴァルは空気が読める。故にこのままでは一向に彼の機嫌も自分の好奇心も満たされないだろうと判断し、スザクの直ぐ傍まで肩を寄せるとごく小さな声で尋ねた。聞き耳を立てている野次馬連中に届かない程の至近距離。男二人では些かむさ苦しい光景ではあるがそれは勘弁して欲しい。リヴァルが視線で先を促すとスザクは渋々ながらもぼそりと呟いた。
「笑うなよ?」
「笑うようなことなんだ。」
「だから笑うなよ?」
念押しされると人は更に笑いたくなるものだが、リヴァルは緩みそうになる頬を筋肉を総動員して押さえつけ、笑わないと誓った。あからさまに恥ずかしそうに視線を彷徨わせ、頬を紅潮させる枢木スザクなど見ていて笑うなと言う方が無理だがここで笑えば自身に危険が及ぶ。何せ目の前の、一見人懐っこそうな童顔少年は人を吹っ飛ばすという光景をリヴァルの前で披露して見せた初めての人である。あの時三メートルも飛んだ近隣校の自称番長(今時番長である)は風の噂で一ヶ月入院したらしく、それを聞いた時は背筋が凍り付いたものだ。そしてそう思っていたのはリヴァルだけではなかったらしく今もスザクの名は極狭い限られた範囲で悪名高く噂されている。
話が逸れた。つまりそれほど喧嘩に強く男気溢れ自ら日本男児と名乗ってみせる程典型的な俺様男枢木スザクが思わず笑ってしまう様な理由で怪我をしたとくればこれは笑わずにはいられるだろうか。多分無理。だがリヴァルはこの時好奇心の方が勝っていた。迷う素振りを見せつつ遂に決心したらしいスザクに、リヴァルは身を乗り出し耳を欹ててしまった。
「思わず見惚れてぶつかった。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
たっぷり十秒は沈黙して後出た言葉は間抜けなものだった。だがそれだけの説明では全く分からない。恥ずかしそうに身を縮こまらせるスザクがまるで恋する乙女のようだなぁ、そんなわけはないけれど、と思いながらリヴァルは詳細を催促する。
「だから…。」
「うん、だから?」
この時はまさかこれがどんぴしゃだったとは、流石に勘の良いリヴァルも思いつけるはずはなく、後に自分の勘をスルーした事をリヴァルは激しく後悔することとなる。
「通学途中で擦れ違った子があんまりに綺麗で可愛くて美しくて儚くて一瞬本気で女神みたいに見えて見つめすぎてよそ見しすぎた結果、自転車に乗ったまま正面の電柱にぶつかった。」
大破した自転車を修理に出してたら遅れた、まで聞いてリヴァルは限界点を超えた。
「それなんて少女漫画?」
肩を震わせ大真面目な顔で、ある意味笑うよりも質の悪いツッコミを入れてしまったリヴァルの雄叫びが校内中に響き渡ったのは言うまでもない。
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