【ひとり冷めていく世界】





黄色い物体。そいつは可愛いのか可愛くないのか判別が出来ず、柔らかそうに見えて意外と弾力があり、目は泳いでいて何を見ているか知れずおまけにそこそこでかかった。チーズ君。商品名を頭の中の見えざる自分全員で呟き、ルルーシュはこの存在を確認していた。

黄緑色のベッドシーツの上に鎮座するこのぬいぐるみは、もう随分長い間異様な存在感を放ちつつそこにいた。

ルルーシュはベッドサイドからじっとチーズ君一匹を見つめ、考えあぐねるようなポーズを取って立ち尽くしていた。だが特に何もすることはない。実は考えることもなかったりする。ただ何となく、そこにいるのが気になる。その程度のことで一時間も時間を費やしていた。全く非効率的で彼らしくない行為に、遂には馬鹿だろうと一人愚痴るに至った。

パタパタパタ。

そうして意識を現実へと浮上させると遠くから足音が聞こえてくる。元気よく軽やかな足音は段々と近付いてきて、ほんの少し間をおくように扉の前で立ち止まる。ルルーシュはその静寂に自然と微笑んでしまった。あんなに勢いよく走っていて、それなのに何を戸惑うのかと思うのだがその少しの躊躇いが愛おしくて仕方ない。ルルーシュはたった一人の存在を出迎えるために飛びっきりの笑顔を作った。

「兄さん!」

微かに頬を紅潮させる少年はきらきらと目を輝かせている。真っ白な肌にふわりと柔らかそうな髪が薄く影を作って、贔屓目に見なくても可愛らしい顔立ちをしている。柔和な顔立ちをしているが中々どうして芯の強い子だ。さすが俺の弟、と内心でたっぷりと贔屓しながらおかえりの言葉をかけると、ロロは嬉しそうに抱きついてきた。勢い余って倒れそうになってしまう。

「こっ、こら!ロロ!危ないだろ!」
「うん、ごめんなさい。」

困ったように下がった眉に苦笑しつつ、ルルーシュは頭をそっと撫でてやる。高校生にもなった兄弟がすることではないと周りに散々揶揄されようともルルーシュはスキンシップを止める事はなかった。手近にある体温を確認する作業はひどく心が落ち着く。弟が生まれてから変わらず続いている習慣、それに彼自身がほんの少し瞳を曇らせたのも知らぬうちにルルーシュはそっと距離をとった。

「今日は随分遅かったんだな。」
「委員会だったんだ。兄さん、あと少し遅かったら向かえに来てくれるつもりだった?」
「…そんなことはないぞ。」

僅かな静寂をロロは敢えて笑顔でやり過ごした。何しろ兄ときたら、あからさまに明後日の方を見ているのだ。こんな時、言葉の代わりに笑顔で喜びを伝える術をロロは知っている。そしてそうしないとどんな事態になるかも。弟の笑顔に居心地が悪そうにしていたルルーシュは、ふと視線の端に話題転換を材料を見つけた。

「そういえばロロ。」
「なに?」
「あそこにあるチーズ君、いつからあったか覚えているか?」
「珍しいね。兄さんが覚えていないなんて。」
「そうなんだ。」

覚えていないんだ、とまでルルーシュは何となく言えなかった。記憶力にかけては格段の自信がある自分が覚えていない出来事があるなんて、頭の奥に霞が掛かって思い出せないなんて信じたくなかった。プライドではない。それを知らない自分がいることを認めることの代償は、あまりにも大きすぎる、とルルーシュは知っていた。だから一時間以上掛かって答えを導き出そうとしたのに、結果は無惨なもので。ルルーシュは一抹の寂寥を胸に抱えながら、可愛いらしいぬいぐるみと、可愛い弟を見比べた。

「もし良ければ貰ってくれるか?」
「いいの?」

心から不思議そうに尋ねてくる弟に、ルルーシュは肩をすくめて見せた。

「俺の部屋にあっても持ち主が鑑賞する趣味も持ち合わせてないんじゃぬいぐるみが可哀想だろう。お前なら可愛がってくれそうだし、何より似合う。」
「兄さんって結構真剣にそういうこと言うよね。」
「気に障ったか?」
「ううん、全然。でも、」
「でも?」

ロロは笑う。ルルーシュが知っている、一番綺麗な笑顔で。


「それは兄さんが持っていた方が、きっと良いと思う。」


そう言う彼の瞳があまりに優しくて、言葉を失ったルルーシュの、ベッドの、いつもの場所は。


相変わらず黄色いぬいぐるみに占拠され続ける。





end