【或る日】





「マリア。」

澄んだ声が名前を紡ぐと、小さな嘶きが応えとして返ってくる。ルルーシュは優しく笑いかけると彼女の傍に寄り、その顔を撫で、銀の糸のような鬣を梳いてやった。それが心地良いのか彼女は顔をその白く美しい掌に寄せるとほんの少し目を伏せる。了承の合図だ。

「今日はマリアですか。相変わらずお熱いことで…。」

その一部始終を見ていたリヴァルは頬を引きつらせながら二人に向かって言った。ルルーシュが軽く目を見開き、マリアと呼ばれた彼女はつい、とその視線だけを寄越す。さして興味が湧かなかったのか直ぐに外れた視線にリヴァルは特大の溜め息をついた。ルルーシュは尚もその顔を撫でてやりながらリヴァルを見つめる。

「そういうお前はジミーか。お前達こそ…仲の良いことで、と言っておこうか?」
「どうもどうも。俺達類友なの。」
「違いない。」

本人の冷静な分析に同意するとルルーシュはさっさと手前の作業に戻った。その様に、自分自身も時間がないと作業に移る。眼前には大きな顔を寄せるジミーがいて、リヴァルは思わずさっと後退った。それを見た彼はふふん、と荒く鼻息を吐く。その得意げな様子にリヴァルは少しマリアが恨めしくなった。

暫し金属音が鳴り響く馬屋の中。今は一週間に一度の馬術の実習の日だ。生徒は実践的な乗馬は勿論、こうした馬具の取り付けから徹底してやらされる。何分良家の紳士淑女の嗜み。の復習といった面が大きいので、道楽、と言っては悪いがあまり真剣味は強くない、とリヴァルは感じる。ただし生き物を相手にする以上、一朝一夕ではいかないし、そう気楽に遣って貰っても困るというのも本音だ。馬術の講師曰く。
よって現在はスキンシップを図る為、ハミから鞍の取り付けを行っている最中である。交流の為と言いつつ学校の授業でここまでやらされれば相当な経験になる。そしてこれがやはり中々に難しい。馬の敏感な部分に触れるため取り付け方が下手だと時間が掛かるし、中にはハミを付けさせられるのを嫌がる馬までいる。そういう馬に当たった場合はご愁傷様、と言いたいところだがそこは不公平にならないように二頭の馬に交代で騎乗する事になっていた。

「こーら。大人しくしろっての!」

そして今日のリヴァルはジミーと呼ばれる大きな黒栗毛の牡が担当だ。顔の正面に白い班があるのが特徴的な馬で非常に元気もいい。やんちゃと言っていい。今もハミまでは大人しくしてくれていたのに鞍を付ける段になって身を振り始めた。どうやら我慢が出来なくなってきたらしい。早く外に出たい!と鼻息荒く訴える彼をリヴァルは苦労しながらも宥め賺しどうにか付け終えると嬉しそうにリヴァルの頭に顔をぐりぐりと押しつけた。

「本当に人懐っこい奴だな。」
「っていうかこれは人懐っこすぎるでしょ。そんなんだから何時まで経っても落ち着きがない、って言われるんだぜ。」
「いいじゃないか。人を選んだりしないし、乗りやすいって評判だぞ。良い子だジミー。」

誉められるとジミーはひひん、と喉を反らす。そのお調子者な所が非常に傷だ、と思いつつもリヴァルは彼を落ち込ませないために無言で貫き通しておいた。抑もつくづく自分と類似点の多い奴だったりするから憎みきれないのだ。

「さぁ行こうか。マリア。」

そう言うとルルーシュは前の板を外した。リヴァルがもたついている間に彼はさっさと全ての準備を整え先生にチェックも済ませて貰ったらしい。慌てて遠くで他の生徒に応対している先生を呼ぶと「待てー!!!あと三人!」という答えが返って来てリヴァルはがくりと肩を落とした。ルルーシュがそれを見て笑う。非常に綺麗な、見とれるほどの笑顔だった。

「まぁゆっくり来い。」

そんな二人の前をルルーシュとマリアが横切る。リヴァルがその後ろ姿を恨めしげに見送ると同時にジミーもまた惹かれるようにマリアを見ていた。綺麗に櫛解かれた鬣と尻尾がゆらゆらと揺れる。マリアは非常に美しい馬だった。
銀に近い白毛ですらりと均整の取れた体躯。くりっとした黒い瞳が印象的な顔は馬に詳しくない人間が見ても一目で美人と分かった。また脚も速く、全体的な能力も高い。その為全生徒の憧れの的であり、特に腕に覚えのある者や女子が挙って乗りたがった。が、美人の宿命と言おうか、マリアはその気位も並大抵ではなかった。一言で言うと、気に入った人間しか乗せない。気に入った人間が乗ろうものなら走らない。そこがマリアの賢いと思うところで人に乱暴をはたらく訳ではないから不的確の称号を押せないのだ。まぁ厩番も講師もこぞってこの馬に惚れ込んでいるので何があっても処分の対象にはならないだろう、とリヴァルは確信しているのだが。

「お前も苦労するよな…。」

完全に恋する瞳でマリアの後ろ姿を見送るジミーをリヴァルは慰めに撫でてやった。ジミーはずっとマリアに惚れているが生憎マリアは彼が眼中にないらしい。いつも悲しく無視される彼を見つめながらはや三年。届かない想いとはかくも無情なものだ。しょんぼりと項垂れるジミーにリヴァルは心から同情する。そしてそんなマリアに心底惚れ込まれている希有な人物はというと自分とは比べものにならないぐらい美しい友人だったりするのだ。男女構わず誘惑してしまうルルーシュの魅力は知っていたつもりだったがそれがさすがに動物にまで適応されるとなると感心通り越して呆れる。おぉすげぇ!それ以外言いようがない。

「さてっ!・・・…行こうか。」

ふひん、と不細工な悲鳴を上げたジミーを伴ってリヴァルが外に出ると既にルルーシュは馬に跨っていた。一人と一頭。その高貴な佇まいに女子生徒がこぞってルルーシュを白馬の王子様と呼ぶのも頷ける。まず彼以上に馬に乗る姿が似合う人間など、残念ながらこの学校にはいない。名のある貴族もいるが全く敵わないと言える。その気品溢れる姿は皇族と言って差し支えない、と全く皇族でも何でもない友人をそう批評した。騎乗する、その姿だけで美しいが馬を駆る姿はもっと美しい。先ほどから自分は内心何度ルルーシュを美しいと評すればいいのか分からないがこれ以上にうまい言葉が見つからないのだ。ただし気恥ずかしいからそれ以上の言葉があったところで彼の前で言うつもりもない。その点リヴァルは空気が読めた。そう、彼と違って。

「そう言えばさ。」

軽く周回してきたルルーシュに声を掛ける。唐突に名前を思い出したことでリヴァルはルルーシュに話を振る切っ掛けを得ただけだった。暫く彼の姿に見とれて途切れていた会話を再度繋げただけでその話題に特に大きな意味は無かった。

「スザクのやつ、馬に乗るの下手だったよな。」

その瞬間ルルーシュの横顔がぴくり、と動いた。ほんの一瞬だけ。ルルーシュは帽子を直すとそっとマリアから降りその体を撫でる。

「随分唐突だな。」
「いやー、さっきからちょっとずつ思い出しただけ。あいつ、本当に下手だったよな。」
「なまじ運動神経が良いだけに意外だったよな。」

ルルーシュは全く意外そうでない顔をして言う。それにリヴァルは苦笑しながら素知らぬふりをした。
運動神経が良いから技術が悪いわけではない。ただ徹底して馬とのコミュニケーションが下手だったからテスト以外の事をやろうとすると馬足が乱れるのだ。あれほど馬と息の合わない奴も珍しい。だがそれに納得したのも事実だったりする。あの、全く動物に好かれない男を普段から見る限り。

「あいつ苦労してねーかなぁ。流石に騎士様なんだから馬に乗れないと不味いだろう。」
「馬鹿。皇帝の選任騎士の主な仕事はナイトメアの操縦だから馬なんか乗れなくていいんだよ。」
「デモンストレーションとかパレードとか。」
「デモンストレーションはナイトメアの。パレードなんて華やかなものにあの皇帝が出るとは思えない。よって必要場面は無し。」

馬なんて前時代的なものに一体どれだけ乗る機会があるか、そう言いつつルルーシュの横顔は悲しそうだった。馬術なんて必ずしも必要とされる訳ではない。もしかしたら無用のものかもしれない。それでも帝国で最も名のある騎士が駆るのが馬ではなくナイトメアなんて、そんな嘆きはリヴァルにも理解できた。
時代の流れだとは思う。けれど殺伐とした世界を見渡し、兵器をより速く強く駆る事が最上だとされる価値観は未だにどうしようもなく拭いきれないものがあった。懐古主義と言われてもいい。ただ悲しい、という想いをどう伝えられるだろう。

「馬って、本当に綺麗だよな。」
「貴族の道楽、と言ってた奴は誰だったかな。」

ルルーシュが笑う。からかっている声すら心地良い。

「そういうなよ。俺だってこいつとコンビ組んで三年になるんだぜ?愛着もわくってもんよ。なぁ、ジミー。」
「類友だから、じゃないのか?」
「それを言うなら女王様コンビには到底敵いません。付き合いだよ。心と心のコミュニケーションの積み重ねが俺達を強くする!」
「何のキャッチフレーズだ…。」

呆れながらもそう言う瞳は優しい。ルルーシュはマリアに顔を寄せるとそっと触れた。馬と触れ合うルルーシュは楽しそうだ。実技の最中も、体育と違って乗り気でいるのがよく分かる。元々犬が好きなルルーシュは自分に従順な生き物が好きなのか、と思ったのだがどうやらそうでもないらしい。もし本当に相手が嫌いなら懐かれるはずなんてない。動物はその点人間と違って敏感で、シビアだ。
故に何故か動物に好かれまくるルルーシュは結局のところ嫌よ嫌よも好きの内、という事でいいのだろう。ルルーシュに聞かれたら殺されそうな結論だが。

「…なぁジミーとマリア、交換してみない?」
「乗れるものなら乗ってみろ。」

挑発的な言葉と瞳。マリアすら挑発するように見つめてくる。よってリヴァルは早々にお手上げのポーズをとった。天を仰ぐと眩しい程の青空に白い雲。今日も良い天気だ。下界に視線を戻すとそんな天気の元、元気よく駆け回る馬達。そしてそんな馬を追いかけている生徒若干名。世の中はこんなにも平和だ。そう、とっても平和だ。

「ルルーシュ。卒業したら一度。」
「うん?」
「遠くへ出掛けようぜ。俺の愛馬で!」
「愛馬と書いてバイクと読ませる気か。」

ルルーシュのツッコミをリヴァルは華麗に無視する。あのバイクだって立派なリヴァルの相棒に違いない。長く大事に接していればその心は通じる。けれどやはり永遠に相手の気持ちは分からないのだ。そんなものは最初からない。
だからやっぱり。

「いや、一度ぐらい馬に乗って出掛けるのもいいと思うぜ。」

卒業したらミレイに頼んでジミーとマリアを貸して貰おう、とリヴァルは提案した。これが、もう最後の我が儘だ。自然の中を馬に乗って駆ける卒業旅行なら、きっとミレイも喜んで同意してくれるに違いない、という自信があった。何しろ面白い事好き、人と一味違う事好きのあの人だ。

一学生にしては少し壮大な計画かも知れない。けれど今はそんな気分なのだ。申し訳ない事に。遠い遠い空の下で、いつかの日、今とは違った未来を思い描くのも決して悪いことではない、と思ってしまう。
それが懐かしさから来る夢であっても。


「それも、いいかもしれないな。」


ルルーシュの呟きに、マリアが嬉しそうに笑ったように見えた。





end