絵空事極彩色

そのすべてが夢で終わるまでに。

【薔薇の園の唄姫】



「アーニャの髪って何色だろうな。」
「何?急に。」

携帯を弄っていると背後から上機嫌な男の声。振り返らずとも彼がどんな表情をしているのかアーニャには分かってしまった。ソファの背もたれに片肘ついて纏め上げた髪の先っぽを弄くる指だけ視界に入れてアーニャはブログの更新にいそしむ。

「不思議な色だなぁ、と思って。」
「ピンク色でしょ。」
「ピンク好きだもんなぁ。」

全くきちんとした返答になっていない。けれどアーニャは気にしないしジノも気にしない。二人の会話は終始こうだ。短いセンテンスでやりとりされ、分からないところは相手を見て補完。お互いを知らなければこう上手くはいかないと云う、とても大雑把な会話だ。

「ライトローズには薄すぎるし、ベビーピンクは暗いな…。シェルピンク、コスモス?うーん。」
「どれでもいい…。」

やたらと詳しい色名が出てくると思い後ろを振り向けばジノは携帯と睨めっこしていた。どうやら必死で該当する色を探しているらしい。なぜそこまで必死になるのか分からないが、自分が分からないのがこの男だ。故に深く追求はしない。うんうん、唸っている男はその内きっと飽きるだろう。彼は興味が湧いた事柄への熱の高まりも収まりも同じぐらい早い。

「うーん、可愛い色。」

だが自分の髪色を何度も何度も連呼されるのは意外と恥ずかしいものだ、とアーニャは思った。気安い間柄で、色恋薄い関係とはいえ髪をくるくると弄ばれるのは些か止めにして欲しい。アーニャはじっとジノの青い瞳を見つめてみた。

「私の髪色のドレスでも贈ってくれるの?」

気まぐれにそんな質問を投げかけてみると意外なことにジノは驚いてみせた。そしてそれから嬉しそうに笑った。もしかすると自分は当ててしまったのだろうか?およそ自分らしくない質問だったというのに。

「近いかな。アーニャもうすぐ誕生日だっただろう?」
「忘れてた。」
「忘れるなよー。」

本気で忘れていた誕生日とそれを覚えていた男。一瞬、本気で驚いた。そして何故かは分からないがかなり恥ずかしくなった。で、無関心を装って答えてみたものの顔が熱くなる気配がする。いけないいけない、とアーニャは平静を装う。普段からおよそ起伏というものがない顔は、仄かに頬が薔薇以上に上気しただけに留まった。何かくれるんだ?と言うと、何かあげるよ、と簡潔な答え。心地よいテンポの会話にアーニャは自然と頬が緩んでいた。

「それじゃあ、この瞳色の花が良い。」

了解、と屈託のない笑顔で敬礼してみせたジノは後日赤い花のネックレスをくれた。

真っ赤な薔薇のように華やかな花の石。
それをアーニャはまだ仕舞ったままにしている。いつかドレスを着て踊る日がくるまで。


まだその日が来るつもりはないのだ。



end



【青空は黄昏に懺悔する】



(疲れたな…。)

心の中で独り言。音にもなれないそれは誰にも拾われる事がない。外線は切ってある。だから隣を飛んでいるアーニャにも届かない。肩の力を抜いてコクピットに全身を預け、操縦桿には手を添える。海の上を真っ直ぐ飛んでいるだけだから何の気苦労もなく自分は空を飛んでいる。画面越しに見える世界は一面黄金色。水平線の向こうから太陽が昇り、水面がキラキラと輝く。あまりに眩しすぎる光景にジノは瞼を閉じてしまいたくなった。

(閉じて良いかもしれない。)

このまま操縦桿を動かさなければ良い。そうすれば自分は真っ直ぐ飛んでいける。あと20分もすれば海上艦へと辿り着くのだ。もし進路を外れたら…、多分隣のアーニャが文句を言ってくるだろう。問題は瞼を閉じてそのまま眠ってしまいはしないか、という事だ。そうなれば目も当てられない。

(夜更かしなんてするんじゃなかった。)

如何せん体力を過信しすぎたな、とジノは自省していた。若さに身を任せるのは時々に留めておくべきだ、と誰か、そうだ自分の父親か?が言っていた言葉を思い出す。決して活発な子供ではなかった、そんな自分が軍人になりたいと言った時誰かが言った気がする。年寄りの愚痴の様だ、と元より聞く耳を持たなかったのは自分だ。それを今何故思い出したのだろう、とジノは青い海と空と太陽を見ながら思う。美しき世界だな、と感想を述べ少し目を閉じてみた。

(帰ったら何をしよう。)

真っ暗な瞼の裏でジノは帰った後の事を考える事にした。取り敢えず面倒だがシャワーを浴びる必要性はあるかもしれない。いや、もう良いか。疲れてる。諸々の報告を終えたら腹にパンとスープを流し込み、そのままベッドにダイブしよう。硬い安物の寝台でも今ならよく眠れる気がする。その瞬間を夢見て、ジノは目を見開いた。計器上の進路に些かの変化も無い。さすが俺と自画自賛し、ジノはじっと空を見つめた。青い瞳に光が差し込む。そうしてジノの心には陰が出来上がるのだ。

(疲れた。)

決して変わる事無い世界共通の光景。それはジノを果てしなく疲れさせる。この光景を見るたびに、自分が一体何を変えているのだろうと思うのだ。それは普段全く顧みる事のない真実という名の世界。決してジノ一人を取り巻く、ジノだけの世界ではない。そこには残念ながら自分が一生届かないものがある。故に自分は何も変えられないだろうとジノは確信していた。

足下にあるものをひとつひとつ片付ける内に目を逸らす。

そんな方法しか知らない自分はひたすらに弱い人間だった。強い人間にはなれない。なりたくもないと虚勢を張るなんて惨めな真似をするつもりはない。ジノの胸の内には確かに憧憬が溢れかえっていた。それは時に切なく優しさが満ちた感情で、封を切った瞬間に溢れ出してしまう類の強さがある。

(そんな瞬間、来るかな。)

操縦桿を握る感触を確かめて、ジノは瞼をまた閉じてみた。人の生死しか握る事の出来ないこの手には、心なんて不確かなものが掴めるはずもない。だからもしもそんな自分の心を掴む人間が現れたら。

自分はその人に一生を捧げてしまうだろうな。

そう確信していた。日常の終わりまで、あと10分。



end



【極彩色の夢】



「なぁスザク。これナナリー総督に渡してくれないか?」
「え?・・・・・・・・・・・・・・・・。」

心底困った顔をされてジノは苦笑する。自分と腕の中で視線を往復させるスザクは一度口を開け、出掛けた言葉を飲み込んだ。相当慎重になっているのが垣間見えて、正直その顔は面白い。

「断っておくけどプロポーズじゃないぜ。」
「あぁ、そう。」
「…うん。ジョークとしてはイマイチだったな。」

人差し指で無感動なスザクの頬を突くと、直ぐさま払い除けられた。自分はかなり力が強いので加減していても頬は痛いらしい。何だか何処までも不機嫌になりそうなスザクを見てジノは戯れはこのぐらいにしよう、と漸く思い至った。腕の中の薔薇の花束をスザクに突き出し、受け取れというジェスチャーをする。が、スザクはそれをじっと見ただけで受け取ってくれそうにはなかった。

「薔薇だよ。」
「見れば分かる。」
「ルルーシュ、って名前の薔薇なんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

無言のスザクが何を考えているかはジノには分からない。取り敢えず強引にその腕に押し付けるとスザクは今度は手を差し出した。ジノが支えを無くす直前、に。床に落ちる事を免れた薔薇はスザクの腕の中で匂い立つような香気を生み出している。

「ロイヤル・ローズ、知らない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「皇族の方々が生まれた時に記念として作られる薔薇。ナナリー総督は残念ながら地位が低かったせいか作られなかったんだよ。だからせめて兄君のだけでも、と思って持ってきた。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ジノがそこまで気が付くとは思わなかった。」
「ひっどいなぁ、スザクは。」

悲しそうに眉尻を下げてもスザクは無反応だ。だがジノとてそれぐらい予想している。さして気にもせずじっと薔薇を見つめるスザクを見た。

「気に入ったなら一本ぐらい抜き取ってもいいぜ。大丈夫、バレやしないって。」
「そのばれないっていうのは何?」
「いや、実はシュナイゼル殿下からでさ。」
「早く言ってくれ。」

そう受け応えるとスザクは踵を返し歩き出してしまった。ジノは慌ててその横に並ぶと足並みを揃えて歩き出す。ラウンズが二人、男、片方の腕の中には薔薇の花束。これで目立たないはずがなく、廊下を行き違う者達が次々に不審な目を向けてくるのが分かる。ジノは花束からそっと一本抜き出すとその匂いを嗅いだ。それをスザクは非難めいた瞳で見遣る。

「そうけちけちすんなって。」
「シュナイゼル殿下からナナリー総督へ、だろう?」
「あー、分かりました。」
「鼻をつけたなら返さなくて良い。」

花束に戻そうとすると断られた。白いレース飾りの中に戻されることがなくなった花はジノの手の中でその存在を持て余している。薄い紅を透いた様な紫が中央に行く程重ねられていき、まるで蕾のようにひっそり身を寄せ合う。その中心を純白で大振りな花弁が縁取る様は清楚な佇まいとは裏腹に豪奢な印象を与えた。紫の薔薇を作るのは難しい。そのグラデーションの妙に、職人がどれほど精魂込めたかと感嘆しながらジノはまたその匂いを堪能してみた。

「いい匂い。」

甘い、けれど甘過ぎもしない。吸い込む程に深みを増す。それはよく近付かなければ分からない程に薄い。それがジノには気に入った。強く自己主張する訳でもないのに、見つめると目が離せない奥深さ。これがナナリー総督の兄君のものだとは些か信じられなかった。彼女はもっと優しく、見た目にも可憐な印象がある。恐らく薄紅色のふわふわとした漂うような甘い香りの薔薇が出来上がるだろう。

「ルルーシュ殿下って、どんな人だったんだろうなぁ。」

ジノはよく知らない。ナナリー総督の兄という情報しか彼にはない。そもそも幼少時にブリタニアを去った彼と当時籠の鳥だったジノに面識があるはずがなかった。けれどこのルルーシュという名の薔薇がどれほどその人に似ているのだろう、と思うと興味が湧かずにはいられない。ジノは自分の制服を見下ろす。ラウンズの白い衣装に、紫の薔薇は映えるだろうか?と思い胸元にそっと薔薇を指す。付ける所なんてないから、襟元にあくまでそっとだ。そしてジノは自分を見上げていたスザクに尋ねてみる。

「似合うか?」

するとスザクは今度こそ見惚れる程華やかな笑顔で応えてくれた。


「全然。」


そして握りつぶされた薔薇はスザクの掌の中。


ひとひらの花弁が床に舞い落ちた。



end