【レクイエム】
「君、どこかであったことなぁい?」
街の中で突然そんな風に話しかけられれば、大抵の人間はナンパの類だと思うだろう。初対面の女を下心丸出しで誘ってくる輩には常々死んで貰いたい、とルルーシュは思っていた。そう、初対面なら。お互いに見覚えがある限りにおいてはそうではない。何故こいつがここに、と不問な問いを自身に投げつけながら、ルルーシュは不自然にならない程度に手持ちの本で顔を覆い隠していた。天気も良い昼下がり、それなりに人で混み合ったカフェテラスでその人物は突然目の前にやって来た。何の断りもなしに自分の相席に腰掛けると、見るからに研究者の風貌をしたその男は無遠慮にルルーシュの顔を覗き込んでいた。
「どぉっかで会った事あるんだよね〜。」
眼鏡の奥の薄い色彩でルルーシュの濃い紫の瞳を観察するようにじっくり見つめながらその男はぽつりと呟く。「気のせいでしょう。初対面です。」ときっぱり返すと「ボク物覚えは良い方なんだよねぇ。」と聞いてもいない事を喋り出す。だがここで強く言い返さないと意味がない。例えこちら側に身に覚えがありすぎようとも。本当に、なんだってこいつが。
ロイド・アスプルント。
アスプルント伯爵家の子息で典型的な放蕩者。確立された地位に居座りながらそれに微塵の執着も見せず、興味がある事といえばナイトメアフレームの研究、という非常に変わった、直喩で言うなら変人だ。ルルーシュはこと記憶力にかけては人が及びもつかない程の自信があった。一度あった人間の顔は、名前も含めて決して忘れない。それは社交界の嗜みでもあるがルルーシュは幼年において早くも完璧すぎる”嗜み”を身につけていた。だから彼を見た場所も状況も詳細に記憶している。なんでここに、と再三自分に問いかけてルルーシュは決意を固めた。本を下げると鉄壁の微笑を顔に貼り付け、不審な男に向き直る。するとロイドはおんやぁ?と奇妙な声を上げた。
「では人違いです。」
「あ、思いだしたよお。」
ロイドは無視して話を続ける。この野郎、人の話は最後まで聞けと親に教わらなかったのか、と内心で舌打ちをするが一応それを顔に出さないだけの気力があった。しかし、何だか距離が近くなってきてないか…?
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア皇子殿下!」
「私は生まれてこの方その様な長い立派な名前を戴いた覚えはございません。それに、皇子という事はその方は男の方なのでは?」
くそっ、そのものずばりで来やがった!と目の前の無駄に記憶力の良い男にルルーシュは全く温度のない笑顔で完璧な受け答えをする。すると男は「君、名前は?」と人の話を全く聞かず質問してくる。そろそろ訴えられても文句は言えないと思う、と頭の中でぼやきながら取り敢えずルルーシュは自分の今の服装に感謝をした。用心に越した事はない、という事でルルーシュは街に出掛ける時は必ず女性の格好をすることにしていた。見知った人間に会った時の用心に長髪のウィッグを身につけて眼鏡をし、ついでに帽子も被る。元が女性なのだから学校で男性の格好をしている方が異質なのだが、身に付いた習慣とは恐ろしいもので正直ルルーシュは今の自分の格好の方が異質に感じる。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは公式的に男だ。そして今の自分は女にしか見えない自信があった。まぁ女なのだから当たり前か。
「ねぇねぇ名前。」
「ルルーシュです。」
初対面の人間に正直に名前を言ってやる理由はないわけだが答えないと五月蠅そうだ、とルルーシュは正直に答える事にした。すると何故かロイドは心底嬉しそうな顔をして笑い出した。
「いや〜いいねぇ君!」
「それはどういたしまして。」
何がいいんだ、何が。おいこら、髪に触るな。
「ホント、皇子様にそっくりだねぇ。親戚?」
「そんなわけないでしょう。」
「うんうん、でもここまで似てたら偶然ともいえないでしょう!」
偶然です、と冷たく言い放ち、ルルーシュは自分の髪を指先で弄びあまつ唇を寄せようとしている男の手をぴしりと叩いた。ウィッグで良かった。地毛なら鳥肌が立っているところだ。本当に何処まで非常識な男なんだこいつは。そろそろ立ち去っても不自然じゃないだろうな、こんな変な男に絡まれていたら女としてはそっちの対応の方が普通だ。折角休日に買い物に出掛けてきたのに、これで全部台無しだと未だに頬杖をついて自分の顔を凝視してくる男に毒づきながら、ルルーシュはあくまで柔らかな動作で席を立った。今、俺は女だ。
「では失礼します。」
「運命って信じる?」
耳を疑うような言葉に「はぁ?」と思わず聞き返してしまった。お嬢様の仮面が崩れるのが自分でも分かったが、ロイドは特に気にした様子もなく席を立ってルルーシュに近付いてくる。一歩。二歩。初対面の距離を超えて簡単にルルーシュのテリトリーに踏み込んでくる。今度は不快な顔を隠す事もなくルルーシュは近すぎる男の胸を腕で突っぱねた。
「ちょっ、とっ、離れてください!」
「僕は科学者だけど世の中必ずしも論理や数式で割り切れる事ばかりじゃない、って思ってるんだよねぇ。」
そんな講釈は聞きたくない。何が言いたいんだ、と睨み付けてやるとロイドは右手でルルーシュの頬に振れた。頬のラインを指先でなぞるようにして、親指で軽く唇に触れてくる。ぞわり、と身の毛がよだった。
「光が流れるような漆黒の髪に、皇族も嫉妬するような深層の紫。僕はねぇルルーシュ皇子を美しいと思った。彼はまだ子供だったけど大人になったところを想像しただけで、感動に震えたね。心が。その彼に生き写しの君が、まさに今僕の目の前にいる。」
「私はルルーシュ皇子ではありません。」
「うんうん、だからつまるところさぁ、僕は叶わない恋をしたって事になるんだよ。彼は男で皇子だからね。僕が可愛い女の子だったらちょっとは素敵なお伽噺になったかな?まぁそれはいいや。昔恋をした子が絶世の美女になって目の前に現れた。これって…」
運命だと思わない?
耳元で囁かれた言葉に、ルルーシュは意識を手放したいと本気で思った。
end