【つぶれた苺を弔いましょう】






鐘が鳴った。電子音と遠くの教会の鐘が入り交じった音が、放課後の廊下に響き渡る。がやがやと騒がしくなる教室に、不意に人が飛び出してくる廊下。磨き上げられた床の上にいくつもの影が躍り出て、鮮やかに教室は解き放たれる。最後のHRが終わった校舎。

その頃スザクは一人でクラブハウスの廊下を歩いていた。校門をくぐったのは丁度五分前。登校するには遅すぎて、生徒会役員であるスザクにとって下校するには早すぎる時間。流石に教室に顔を出すのは躊躇われて、一足先に生徒会室に足を運ぶ。頭の中で今週の生徒会の活動日程を確認しつつ、待ちぼうけなんて事はないように扉を開いた。三時半の少しくぐもった空気に包まれた生徒会室には、案の定まだ一人の姿もない。スザクはいつも通り自分の指定席に近付くと、席には着かず鞄だけ机の上に放り出した。そして隣の空席に甘やかな笑顔を向ける。太陽の様に燦々と明るく晴れた笑顔で、スザクはじっと空席を見つめた。そこはスザクの親友の、ルルーシュの席だった。

ルルーシュ。

声には出さずに舌の上で名前を転がすと、一層胸がすっきりとした。スザクが学校に通う理由の、大部分を占める人は等しくスザクにとってこの世で一番大切な人でもあった。大事にしたいと、心から願う人。その人は近頃無断欠席で学校に中々来てはくれない。軍人であるスザクと、ただの学生である彼が同じくらいの出席率であるという事に疑問を抱きながらも、スザクはその本当の理由を聞くことは出来ない。ルルーシュはそれなりに頑固で、そして必要とあれば口を紡ぐことに躊躇いのない人であるとスザクはよく知っていた。きっと隠し事なんて、幾ら問いつめた所で答えてはくれないだろう。強引な手段にでればもしくは、と思わなくもないがそこまでするには気が引ける。例えどれだけ二人の距離が近くて、心を許しあっていたとしても引かれるべきラインは存在するのだ。不可侵の領域に踏み込みたいと願う気持ちと、それを守り通すべきであるという気持ち。ときどき欲望が理性を乗り越えてきそうになるのを、スザクは必死で胸の中に押し込めていた。不安はいっぱいある。ギャンブルであれ何であれ、学園という安全圏を飛び出した彼が、自分の目の届かないところにいるというだけで恐怖が沸き起こる。過保護な自分に自嘲してしまう。けれどもし本当にルルーシュが必要あって外に出るなら連れて行って欲しいと願っている。たとえ学校があっても、彼がもし、心から大切にしている用事があるなら学校だってサボることは厭わない。傍にいれば護れる、護れれば傷つく彼を見ないで済む、彼が傷つく可能性がもしこの世に一厘もなければスザクは心穏やかでいれるのだ。

じっと席を見つめて五分がたった。校舎からクラブハウスまでの距離、HR後の僅かなやりとり、ルルーシュが廊下を歩く速度。全て考えれば彼がここにやってくるまであと二分はあった。スザクはようやく椅子の背もたれをひき、腰掛ける。そして広い生徒会室を見渡す。良家の子女が通うアッシュフォード学園はどこもかしこも広く綺麗だ。子供の頃漫画なんかで見た日本の生徒会室の典型的な様を脳裏に思い浮かべ、その差に笑みを溢す。猫の為の家まであるなんて、なんてことだろう。スザクはぎしぎしと背もたれを揺らしながら部屋の中を見つめていた。左の方にニーナが使っているパソコン(私物かどうかいつも気になっている)その横にはソファーとテーブル(来客用ではない)があり、中央の机も生徒会の人数から考えれば少し大きすぎる気もする。今年に入るまでカレンも自分もいなかった事を考えれば、なんて大きな生徒会室だろうとさえ思う。穏やかな空気の中、照明を付け忘れたスザクはひとりで静かな時を過ごしていた。ぎしぎし、みしみし、と椅子が過剰な力に抗議の音を立てる中で。

二分経って漸く扉が開いた。期待に胸膨らませ振り返れば、そこにいたのはスザクの意中の人だった。緩みそうになる頬を必死で引き締めて、不自然にならない程度の優しい笑顔を作る。声のトーンが意図せず上がった事に気付かず、スザクは挨拶をした。

「おはよう!ルルーシュ。」

放課後だけれど、今日初めてあったから朝の挨拶。スザクは椅子を傾け、入り口の方に向けた。席を立ち上がるまではしなかったけれど、落ち着きが取り戻せず腰が浮きそうになる。一週間ぶりだった。

本当は抱きしめたかった。立ち上がって駆け寄って。遠くに彼の姿が見えればいつも走って駆けて行った。名前を大声で呼んで、彼が振り向いてくれるように。けれど今は狭い部屋で、ルルーシュの視線も直ぐに自分と合わさったから立ち上がることはしなかった。そんなことをしたら不自然かもしれないから、と高鳴る胸を押さえて椅子に座っていた。久しぶりで大分緊張しているらしかったのが、そんな自己抑制のせいで知れた。どうすれば自然なのか、逐一考えないと出来ない。それでもルルーシュが笑ってくれたなら、スザクは椅子から立ち上がって彼の傍へと歩んでいたことだろう。


ルルーシュが、笑ってくれたなら。


けれどルルーシュは笑わなかった。薄いけれど色の良い唇を引き結んで、綺麗な紫色の瞳に何の表情も浮かべずスザクを見ていた。親しい人を前にした時のように、頬を緩ませることもしない。何処までも冷たく、まるで感情を失ったかのようにさえ見える顔で、ルルーシュはスザクを見た。その様を見て、挨拶と同時に右手を挙げていたスザクは凍り付いた様に動けなくなった。

「る…るーしゅ?」

確認するように名前を呼んだ。一体何を確認しているのか、スザク自身にも分からなかった。彼がルルーシュ本人である、という事を確認しているのだろうか。この世に二人といない美貌に優雅な立ち姿、真に大切に思う人を例え意識が朦朧としていたとしてもスザクが間違うはずがない。だからこれはルルーシュなのだ。ルルーシュ以外ありえない。けれどルルーシュならスザクを見て微笑んでくれる。優しく笑ってくれる。だから、分からないのだ。彼はルルーシュであって、彼はスザクの知っているルルーシュではなかった。目の前に広がる現実と蓄積された過去との差異に目眩を感じて、倒れそうになりながらもスザクは何とかルルーシュと対峙した。真っ直ぐに眼を見た。困惑と恐怖と焦燥しか呼び起こさない、残酷な現実を早く否定して欲しかった。何よりもルルーシュ本人に。笑ってと、祈るように彼を見つめた。

「スザク。」

願いは叶った。ルルーシュは笑ってくれた。いつものようにスザクにとっては眩しい笑顔を浮かべて。作り物ではなく心から、彼が愛する人を目の前にした時の笑顔で。紫の瞳が潤み細められて、口元が美しい孤を描く。これこそが、スザクにとって現実だった。スザクは胸をなで下ろし、緊張で詰めていた息を吐き出して席を立った。腰を浮かせ、目の前で笑う人の名前を呼びながら歩み寄ろうとした。ほんの少し手を伸ばせば、愛しい人に触れられた。緊張をといたスザクを見て、ルルーシュは鮮やかに笑って


「死んでくれないか?」


死刑宣告を下した。









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