【くし刺しりんごうさぎの断末魔】






追いかけられる夢を見たことがあった。遊戯のような鬼ごっこではなく、ただひたすら追いかけられる夢。追いかけられる理由は分からなかった。夢はいつだって唐突で説明不足で、単純な出来損ないの小説のようなものだから。そして理由もなく追いかけられて気分の良い人間はいないようにやっぱりそれは僕にとって気持ちの悪いものだった。一番気持ちが悪かったのは、何度振り返っても幾ら走っても、追いかけてくるものが何なのか分からないところだった。

良い夢は繰り返さないけれど、悪夢は何度だって繰り返す。幼ない子供の脳裏に焼き付いて、それは純粋な恐怖というかたちをとって僕を追いかけた。何度も見た。時間も場所も関係はなかった。ただ時折思いだしたように、夢は再生されるのだ。

今思えば単純なことだったのかもしれない。人は嬉しいことよりも悲しいこと、楽しいことより退屈なこと、快より不快、幸せよりも不幸に反応しやすい。いくら幸せな夢に浸っても、慣れ忘れてしまう。夢は目覚めれば大半掻き消える。だからきっと幾度と無く見た幸せな夢も膨大な記憶の中に紛れ込み、思い出し方を忘れてしまうのだ。その甘みも優しさも。逆に悪い夢は、忘れられない。心に楔を打ち込みしっかりとした鎖で繋ぎ、頼んでもいないのに僕を苛む。その前後にどれほど大きく幸せな夢を見たってそれは何の慰みにもならない。何故か。

人は幸福に慣れても、不幸には慣れないものだからだ。

まるで人生の真理のようではないか、と思う。寸分違わず正しい、縮図のような。それが夢。
人は自らが作り出した夢の中に自身を見る。ただ夢が夢である、ただ一つの救いはそれが、

いつかは終わるというただそれだけのこと。





「ほんっとに相変わらずだな、お前ら。」

片膝をついて体勢を崩したリヴァルが、至極つまらなさそうに数学の教科書を弄び呟く。独り言のようなそれは拾われても捨てられても構わないという気軽さで投げかけられる。スザクは、はたとペンを止めてリヴァルを見た。するとリヴァルは肩をすくめて、正しく友人に贈る笑いを浮かべて見せた。スザクは返事を返そうかどうか一瞬迷い、結局困ったように笑うだけに留めた。その隣に座っていたシャーリーが、優等生らしく不仲の友人の仲を掻き回す発言をしたリヴァルを窘めるように額を小突いた。意外にも腕力のあるシャーリーに押され、リヴァルは椅子から転げ落ちそうになる。間抜けな声をあげて必死に机にしがみついた友人を、スザクは無表情で見送った。テスト前の合同勉強会。溜まった書類もなく平和そのものの生徒会室で仲良く顔をつきあわせる心温まる一時。日に日に不穏なニュースの増える租界、軍人として体験する厳しい惨劇の戦場、そんな空気はまるでなくまるで夢のようだった。スザクにとっては、間違いなく夢のようだった。

ちらりと隣を見れば無言で紙に向かう人がいた。リヴァルとシャーリーが茶化し合う中で一瞬も止むことがなかったペンの音を追えば、そこにいたのはつまらなさそうにレポート用紙に向かうルルーシュ。出席日数の不足に業を煮やした現文教諭からご丁寧な嫌み付きで渡されたレポート課題。同じく出席日数の足らないスザクも、同じ課題を並んで受け取っていた。図書室から参考資料に借りてきた本が二人の間に、まるで砦の様に積まれている。けれど出席日数がどれだけ減ろうとも全く成績の揺るがないルルーシュにとっては文字通り本は参考、でありもっぱらそれを開いて読み入っているのはスザクだけだった。よどみなく流れ最早終盤にさしかかっているルルーシュを、スザクは本を読む合間に時折盗み見る。視線は、常に一方通行だった。

リヴァルが相変わらずだと言う。
シャーリーが気を遣って、会話を繋げない。
ミレイは困ったように笑いながらけれども触れない。
カレンは関心を払わない。ニーナは言わずもがな。
そしてクラスメイト達は全てを、認めていた。

たった一週間前だった。スザクにとって全てが変わったのは。
けれどずっとだった。周りにとっては。何も変わらず何も色褪せず、何の差し支えもない。
スザクにとっては確かに現実だった過去も、それ以外の者にしてみればお伽噺のようなものだった。誰もがスザクが夢を語り耽っているような、少し可哀想な人を見る眼で見る。スザク以外にとって、全ては存在しないモノだったからだ。

枢木スザクとルルーシュ・ランペルージは仲が悪い。

たった一週間前に塗り替えられた、現実と過去のたった一つの差異。昨日まで妹に向けるような花が綻んだ優しい笑みを向けてくれていた友人は、たった一日で最悪で不浄で理解不可能な他人を見る友人へと変わった。ルルーシュはスザクと会う度に僅かに眉を寄せる。余所行きの笑顔を向ける。極力言葉を交わそうとはしない。ただ偶然同じクラスで偶然同じ性別で偶然同じ生徒会に所属している、単に過去顔を付き合わせたことがあるというだけの人として扱う。それこそ表向きの態度で、ひとたび晒された本心はもっと非道かった。ルルーシュにとってスザクは、最も嫌悪すべき他人だった。それは今までスザクがルルーシュから貰っていたものと全く真逆のものだった。



単なる冗談だと思っていた。例え冗談であってもそんな事を言う人でないと知っていたけれどスザクは直ぐさま逃避に走った。偶々気分が優れなくて、ちょっと質の悪い冗談を言ってみる気になっただけ。もしかしたらずっと学校に来なかった自分への、ちょっとした意趣返しかもしれない。全然連絡をとろうとしない友人を懲らしめてやろうと思っているのかも知れない。スザクは自分の出した結論に従って長らく学校に来なかったことや不通になっていたことを謝罪した。けれどルルーシュの態度は変わらなかった。氷のように張り付いた仮面は、欠片も剥がれ落ちなかった。
次は怒っているな、と思った。中々怒りを露わにしないけれど一度火がつくと静かに燃えたぎる烈火の如く怒る人だと知っていたから。自分の落ち度はよく分かっていたから今度は必死になって謝った。けれどルルーシュの態度は変わらない。近付いて伸ばした手さえ振り払われた時、スザクは静かに絶望が降り立つ音を聞いた。今度は逆に怒った。声を荒げて意固地になる人を叱責した。何でも良いから嫌悪以外の表情が見たかったから、子供のように癇癪を上げてルルーシュに近付こうとした。何故を、疑問を投げかけた。その時になってもまだスザクは信じていたのだ。

何かが正されれば、全ては元に戻ると。

けれど遂に元に戻ることはなかった。二人の口論は割って入ってきたリヴァルによって止められた。次に入ってきたシャーリーによって宥められた。荒い息を吐くスザクの肩を押し、落ち着くように言い聞かせるリヴァル。そして向かいでシャーリーはルルーシュの態度を改めていた。バツが悪そうに視線を逸らすルルーシュを問いつめるシャーリーを、その時スザクは喜びでもって見ていた。二人では解決しなかったけれど、親しい友人達がちゃんと取り持ってくれようとしている。この流れでいけばシャーリーは二人に向き合う様に言うはずだ。仲直りするように、と。スザクはそのたった一言をずっとルルーシュを見ながら待っていた。けれどシャーリーが振り返って発した言葉は、そんなスザクの思いを欠片も残さず打ち砕いた。

『スザク君もルルーシュが嫌いなのは分かるけど。』

これは夢だと思った。



「ルルーシュもスザクもお互い何がそんなに気に入らないかなー。まぁ二人とも性格というか考え方が真逆だからそれが原因だとは思うけど。」

人生最大で、史上最悪の悪夢だった。リヴァルは僕らの仲が、まるで悪いように言う。本当は仲がいいのに、あんなに仲が良かったのに、一度も仲が良くなかった見たいに言う。否定されても無かったことにされてもいいはずはない事実を。

「そういう部分でお互い認め補い合えば良い関係が築けたりするもんじゃねー?二人もさ、付き合い長いんだからそこんとこもーちょっと歩み合って。」
「馬鹿かお前は。真逆の存在は何処までいっても交わらないんだよ。逆方向に歩いていて、どうやって相手を認識するんだ。映画や小説じゃないんだからそんな美しい関係になるか。」
「うわー冷たいお言葉…。」
「なんでお前が落ち込むんだ…。」

当然と認めていた事実さえ今は胸を貫く。気にしたことなんてなかったのに気になって仕方ない。原因であるはずもないのに原因のように思えてくる。夢だからとさえ割り切れない。夢だと願っているのに、これは夢のはずなのに。よく出来た夢だけれど、とても精巧でリアルだけれど夢に違いないのだ。だって、現実であっていいはずがない。


「俺とスザクが仲良くなる?天地がひっくり返ろうとあり得ないな。」


笑って僕らの関係を否定するルルーシュなんて。









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