【搾り切られたブラッドオレンジ】






これは夢なんです。

そんな事を言ったが最後、精神面を心配されるか悪ければ医者を薦められるだろう、とスザクは確信していた。学校であった友達に突然「夢を見ているんです。」と言われたら何事かと思うだろう。お前は目を開けたまま夢を見ているのか?と問われるだろうか。
夢を現実と履き違える人はそうはいない。自覚がなくとも、夢の中で夢を見ていると言われれば納得しうるだけの感覚は持ち得るだろう。だから自分の言動の末の結果への確信は、スザクにとってこれが現実だと確信しうる充分な材料を掴んでいる事を示していた。これは、現実なのだ。けれどスザクはそれを否定したい。一人でも良いから疑問を投げかけて、共感を示して欲しい。スザクにとっても恭順を示せるほどの意見を聞きたい。けれどそれは土台無理な話だった。むしろより強固にこれが現実であると思わざるを得なくなるかも知れない。

考える内に閉鎖的になっていく思考。
出口なんてそもそもなく窓すらもない密室でスザクは真実独りになった。



「これが現実か?って?」

スザクは相手を慎重に選んだ。身近な人であればあるほど心配をしてくれる。遠い人であればあるほど懸念をしてくれる。適切な距離感を保ち、かつこの手の事象に関して真っ当に受け答えをしてくれる人をスザクは残念な事に二人しか知らなかった。一人は、自分にとって大切な友人だった人で、もう一人は変人の誉れ高い自分の上司だった。結局消去法で後者を選ぶしか無くなったスザクは、僅かな不安と諦念を抱きながら問いかけた。常人とは違う感覚世界に生きるこの人に、このような所で感謝したくなるとは思いも寄らなかった。

「で、君はどう思ってるんだい?『ここ』は現実か否か。」
「夢だと思ってます。」

休憩時間にもかかわらず止まらないキーボードを打つ両手をスザクは斜め後ろから見つめながら受け答えした。横顔から話に興味をそそられた印象は受けたが、いつも不実な笑みを刻む口元はやはりいつも通りつり上げられたまま動かない。視線も寄越されなかったが、スザクは気にすることなく言葉を待った。こんなに真剣にこの人と対話するのは、もしかしたら初めてかもしれなかった。

「夢だと思う、その根拠は何?」
「ある日を境に…ある一つの事が変わってしまったんです。僕にとって大切だった友人が、いえ、友人と僕との間の関係とその認識が。あんなに仲が良かったのにみんな前から仲が悪かったように言うんです。彼もずっと僕と仲が悪かったように振る舞う。他は何も変わらないのに、そこだけそっくり違うんです。」
「君が知っている現実と?」
「そうです。」

はたと軽快な音が止まった。ロイドがうーんと唸るように顎に手を当てていた。ただそれが画面の中の内容に関してなのかスザクの話の内容に関してなのかは分からない。ロイドの視線はまだ画面の方にあったからだ。

「ねぇスザク君、夢見る?」
「え?」
「夜寝てさ、夢見たりする?」

否、と答えた。異変が起きてから早一週間と三日。最初の一週間は自失するような現実に振り回され目まぐるしく思考しては現実に打ちのめされていた。そしてそれから三日経って漸く幾ばくかの余裕を取り戻した。ずっと緊張していたせいか寝る間も惜しんで原因を追及していたせいかここのところ寝ても夢を見た覚えがない。スザクにしてみれば夢の中で寝てまた夢を見るなんて不思議で仕方ないし、また夢を見なければまずこれが現実だと判断する確信にはならない。まるでこじつけだが、それでもスザクにとって今夢を見ることは耐え難いものなのだ。もっと言えばスザクはある特定の夢を見ることを恐れている。自分が知っている過去、自分が現実だと思っている現実を、夢に見ることを。

「中華連邦の古い故事でさ、胡蝶の夢、ってあったでしょ?我夢に蝶となる、超夢に我となる。面白いよねー昔の人は。でも考えてること自体は現代にも充分通用する。結局彼は、夢とも思えない『現実的な夢』を見たわけだ。けれどそれを夢と判断しうる材料がなかった。そんなリアルな夢って見てみたいよねーって君は今まさに見てるのか。夢だと確信が持てなかったから現実が本当に現実であるか悩んだ。でもさ、大抵の人は自分が現実で蝶が夢だと認識してるでしょ、そう思いたい場合は別としてさ。」
「はぁ・・・それはまぁ。」
「でも今君はまさに胡蝶の夢状態なわけだ。」

現実と夢の区別がつかない。現実が夢だと思う。極端に言えば、現実を夢だと思いたいのかな?とロイドは問いかけた。スザクは言葉に詰まって、良い言い方も思い浮かばず結局口を紡ぐことにした。スザクが何かを言わなくても、ロイドは淡々と状況を解説し、吐露する。スザクは水の流れのように取り留めもなく掴めない言葉の数々を耳に落とし何か掴めないかとロイドを見つめ続けた。ロイドの視線は、まだ此方に向かない。

「本当はさ、これが現実かどうかなんて判断する材料は僕らにはないんだよ。よく信じられない出来事があった時は自分をつねって、痛みがあるかどうかで夢かどうか判断するけど。あれは肉体があってその肉体に痛みを感じるかどうかで夢か現実か判断してるわけでしょ。夢は脳が見るから肉体がない、だから痛くないって。でもさちょっと考えれば分かるよね。これも可笑しいって。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「別に『痛み』は肉体が認識してるわけじゃないもん。極端に言えば刺激を与えられた神経が脳に信号を送ることで、その信号に名前を付けるのは『脳』なわけだ。だとすれば夢で痛みを感じたって、別に不思議はないよねー。夢は脳が作り出してるんだから。肉体への刺激をすっ飛ばしたって、脳が痛いという信号を発しない事はないもん。聞いたことあるかな?腕を切った人がその無いはずの腕が痛むっていう話。」

ロイドの話を聞きながらスザクは段々訳が分からなくなるのを感じた。ロイドはスザクが言ったことを否定しない。ここが現実だと、確定して告げることはしない。むしろこれが夢かも知れないという甘言さえ提供する。ここが夢だと信じたいスザクにとってそれは一見すれば喜ばしいことだけれど、逆に彼はスザクが現実だと認識する過去も、現実かどうか確定はしない。どっちが現実かどっちが夢か惑わされる。有耶無耶にされて右も左も分からない濃霧の中に放り込まれた気分だった。勝手に相談しておいて我が儘な事は百も承知だったけれど、スザクにとって必要なのは現実と夢を判断しうる術だった。スザクはそれまで閉ざしていた口を徐に開いた。

「つまりロイドさんが言いたいのは結局人は自分が信じたいものを信じる、ということですか?」
「うんまぁ極端に言っちゃえばそういう事かな。・・・…でも君はそれに納得してないんだね。」

いつの間にか睨み付けるように鋭くなっていた双眸。漸く振り向いたロイドは自分を射る緑の瞳に出会い、苦笑して頬を指でかいた。

「…えーっとさ、僕が一週間前に見た夢はスーパーにバケツプリンが売っている夢で僕はそれを嬉々として買ったんだ。けどいざ家に帰って食べようとスプーンを探していたら急に目の前に星が散っていつも見慣れたこの椅子に座っていたんだよ。セシル君が居眠りしていた僕をゲンコツして起こしたというわけ。んで三日前に見た夢だと僕はただっぴろい草原でぼんやりと空を見つめていた。良い天気でね、すっごく気持ちいいんだ。何故か分からないけど僕は変なローブみたいなものを来ていた。ところが急に地響きがしたかと思うと後ろから羊の群れが迫ってきて僕は踏みつぶされたかと思うとまたこの椅子に座っていたわけ。コーヒーを持ってきたセシル君にがくがく揺さぶられて起こされたんだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ロイドさん?」

突然始まったロイドの夢講釈にスザクは首を傾げた。あからさまに眉を顰めて、そんな事が聞きたいわけではないと話を中断しようか一瞬思案する。けれどくるりと椅子を回し初めて自分と対面したロイドは殊の外真剣な眼差しをしていて、この話が重要な話であると知った。表情をまともに改めたスザクに、ロイドはぐいっと身と乗り出して薄く笑った。

「大勢の人が現実と夢を区別しうる、たった一つの根拠を教えようか?」

戯けた表情に真剣な口ぶりに、スザクはこの時耳を塞ごうか迷った。
けれど決断が下せる前にロイドの言葉は続いて、手は膝の上にのったままになった。


「現実はね、連続するんだ。けれど決して重ならない。」


人は信じたいモノを信じるのだと知った。









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