【輪切りレモンの再生願望】
足取り重く廊下を歩いていた。鉛のように重い足に付属品のように体にぶら下がる腕が邪魔で、普段なら真っ直ぐ伸びた背筋も今は心なしか曲がっている。授業が終わり、部活が始まりだしたクラブハウスをスザクは生徒会室へと向かっていた。いつも行くのが楽しくて仕方なかった学校は今は憂鬱以外の何ものでもなく、スザクは業と歩幅を狭めて歩く。上司に相談して二週間、異変が始まって早一ヶ月経とうとしていたけれど、その間スザクは数えるほどしか学校に来ていない。後でどれだけ補習を課されようとも、ここに来る気はなれなかった自分にスザクは自嘲した。ルルーシュという存在を欠いた学校が、これほど億劫なものだとは思いもしなかった過去の自分が恨めしい。
自動開きの扉を開けば閑散とした空気が漂っていた。いつも賑やかすぎる生徒会の面々の姿はなく、一番奥の席に一人、ルルーシュだけが座っていた。殆どの照明が落とされた部屋で、適度に積まれた書類をホッチキスで纏めている。自分の想いの渦中にいた人が目の前に一人で現れたことでスザクは柄にもなく動揺してしまった。思わず止まってしまった足と音に訝しんだルルーシュが一度、視界をあげて此方を見る。相変わらず宝石のように強い光を放つ紫の瞳に射すくめられてスザクは息を呑んだ。何か言うべきかと思って無難に挨拶をしようか、名前を呼ぼうか瞬間迷った。けれど視線はすぐさま逸らされる。そしてそれっきりホッチキスの渇いた音だけが二人の間に流れた。まるで気にする価値もないかのようなルルーシュの態度にスザクは腹が立って、苛々して、耳鳴りが止まなかった。沸々と湧き上がる体に呼応するかのように胃の腑の当たりに痛みが走る。
「…みんなは?」
ようやくそれだけ切り出すことが出来たスザクを、ルルーシュは一瞥すらしない。淡々と積まれていく紙の束を恨めしく眺めながら相変わらずスザクはその場に立ち尽くしていた。詰めることもできないこの遠い距離が正しく今の二人の心の距離のようだった。
「今日は生徒会は休みだ。」
「それなら君はどうしてここに?」
「別に。」
そっけなく無味乾燥な返事のあと、再び沈黙が訪れた。窓から差し込む斜陽が照らす室内は恐ろしいほどの沈黙に包まれる。それは決して心地良いものではなく、正常な人間なら居たたまれなさに身震いしてしまうかのような棘を含んでいた。その棘さえスザク自身が感じているだけで、ルルーシュの意図するものではないと分かっているから尚辛い。立ち尽くしたまま見つめ続けても、反応は一切返ってこない。それは言うなれば用がないなら帰ればいいだろう、という無言の訴えだった。
「ルルーシュ。」
名前を呼んでも返事はない。話すべき事は既に終わっただろう、と言われている気がしてスザクは胃の当たりを抑えた。嫌いな人間と話して不快になることもない、それこそ無駄な労力だとばかりにスザクに関わろうとしないルルーシュ。他愛ない世間話さえ彼は許そうとしなかった。嫌われているんのだから、その彼の態度が当然のものと分かっていても認めたくはなかった。嫌われている、ということそのものを。
「返事してよ。」
短く告げた声は自分でも知らぬうちに低く、そして微かな震えを伴っていた。午後のくぐもった空気のせいか、徐々に視界が濁っていく。混乱する視界の中でたったひとつ黒い人の輪郭線を凝視していた。そんなスザクに返されたのは「何だ?」という言葉ひとつだった。ちらりと見もしない。その冷たい返事にスザクは力一杯鞄を机の上に叩き付けた。
「・・・・っ!」
不自然に息を吸い込んだ音が大きな余韻の後に続く。スザクは叩き付けた鞄を見つめ、じんじんと痛む両手を押さえ込もうと握り込んだ。止まないホッチキスの音に、耳なんて塞いでしまいたかった。
「机が傷む。」
そんな言葉が聞きたいわけではなかった。過剰に吸い込んだ酸素が肺の中で行き場をなくしたように胸をうずかせる。暴れる心臓に、震えの止まらない肩。一変してしまった状況を受けいれることなんて、できはしなかった。ただ彼の態度がこの上なく腹立たしく怒りが沸き起こる。同時に哀しくて苦しくて泣きたくて堪らなくなった。受け入れがたい現実は体を精神を苛むことしかしない。信じたくなかったから信じなかった。でも信じなかった所で何も変わらなかった。だから夢だと思おうと思った。でも長すぎて分からなくなって、夢かどうかさえ信じられなくなっていく。徐々に塞がれていく逃げ道に、心の底で現実を受け入れろ、と叫ぶ声が聞こえる。でも違う。こんな現実は、現実なんかじゃない。では何かと問われれば応える術はないけれど。
「君はそんなに、僕のことが嫌いか・・・っ!!?」
「お前だって俺が嫌いだろう。」
「っ‥!僕は君が好きだ・・・!!!」
反射的に大声で言い返せば漸くルルーシュの手が止まった。そして初めて自分を睨み付けるスザクを視界に入れる。普段は力強く輝く瞳が溜まった涙で精彩を欠いている様を目の当たりにしてルルーシュは首を傾げた。皮肉げに口元をつり上げて笑うでもなく、取り乱した相手を馬鹿にするでもなく、ただ心底不思議で堪らないという風に首を傾げる様に、スザクは胸をナイフで突き刺されたような感覚を味わった。傷つくことさえ今更なのに。この状況を受け入れていないのはスザクただ一人で、他の全ての人にとって正しい現実なのに。想い合うことが二人の好意の末に成り立つ結果なら、スザクの願いはここで完全に絶たれたも同然だった。ルルーシュは、スザクと、友であることさえ望んでいない。
「俺のどこが?」
「全部!」
「答えになっていない。」
そのことに敢えて耳を塞いでスザクは叫んだ。
冷たそうに見えるけれど本当は誰より優しいところ、踏みにじられても挫けない強い心、優しい笑顔、人を受け入れられる器の大きさ、自分を犠牲にしても人の為に生きられるところ、完璧そうに見えるのに意外と抜けているところとか、本当に大切な所は譲らない矜持の高さ、いつだって前を向いて生きる誇り高い姿勢、
思いつく限り叫んで、あぁ彼は本当に自分と正反対だと思う。これだけ反対の性質を持つ人間がふたり、よく友になれたものだと思う。反対だからこそ惹かれたというのは正しかった。スザクは彼のそんな所が好きで羨ましくて、そして眩しすぎるが故に遠いと思うのだ。手を伸ばして焦がれても永遠に自分のものになることなんてない。それはまるで太陽に向かって飛ぶに似ている。届かない切なさと切望させるに突き動かさせる残酷さ。けれど手に入った時の甘美さに、確かにスザクはルルーシュという存在を欲していた。ルルーシュを太陽と評したことで自分は彼がいないと生きてなどいけない、とスザクは思い至った。思い至った故に、彼が必要だと訴えかける言葉に迷いはなかった。
「ねぇルルーシュ、僕のことを好きになって。君のことが好きだから、君の好きなところがたくさんあるから、君を愛してるから、君がいないと生きていけない。君に嫌われていることが苦しくて堪らない。こんなに君を望んでいる。傍にいて欲しいと願ってる。だから愛してください。」
そうやってこの場所を抜け出したい。これが現実なら変えるべきなのだ。夢であっても嫌だと思うなら変えればいいのだ。現実でも夢でも、君に嫌われていたくなんかない。思いの丈を込めて夢中で叫んだスザクに、ルルーシュはたった一言だけ返すことで全てを終わらせた。
「お前が俺を好きだからと言って、何故俺がお前を愛さなければならない?」
投げられた言葉に続きを求める術もなく、スザクの視界は暗転した。
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