【掠めた指先・後】






そして彼、ルルーシュを連れてきたロイドは後はお若いお二人で、と慎ましやかに述べるとさっさと退場してしまった。あまりの衝撃に暫し呆然としていたスザクだが、やっと正気を取り戻すと何とかルルーシュを客間に案内することが出来た。客間は仕事部屋と続きになっていて、間の襖を開けっ放しにしていた事に部屋に入ってから気付き、しまった、と思ったが絵には布がかけてあってほっと一息つく。今もまだ書きかけのルルーシュの絵。いきなりそんなものを見せられたらきっとルルーシュだって不快に思うだろう。後ろを付いてくるルルーシュがどんな顔をしているか伺いたくて、ちらり振り向くが思いっきり目が合ってしまい、思わず顔を逸らしてしまう。何やってるんだ僕。

「ごめん、お茶入れてくるから座って寛いでいてくれるかな?」

平静を装って笑顔でそう言ったものの内心は一杯一杯だった。もう全く余裕なんぞ無い。そそくさとリビングに引っ込むと急いで冷蔵庫から冷えた玉露を取り出しお茶菓子に芋羊羹を取り出した。ロイドには間違っても出さない高級な品である。透明なグラスに玉露を注ぎ、更に切った羊羹を盛りつつもスザクの頭の中はルルーシュの事でいっぱいだった。心臓は飛び出さんばかりに鼓動を刻むし、呼吸も荒い気がするから脈拍を計ったらきっと凄い事になっている。

だって彼が、すぐそこにいる。

手を伸ばせば触れられる距離にいるというだけで平静でいられるはずがなかった。それに今までこんな間近で彼を見たことが無かったから改めて見たその美しさに目眩がする。すっきりと通った鼻筋に長い睫毛、そしてその下に隠れたスザクの大好きな紫の瞳。遠慮がちに伏せられた面に絹糸のような黒髪が影をつくる。そして白い項から漂う壮絶な色香、ルージュを引いているわけでもないのに紅みの強い唇は見るからに柔らかく吸い付けばどれほど甘美だろう。あの細い腰を抱き寄せて、あの髪に指を這わせてそれから…、それから…

・・・・・・・・・・・・・・・・。


「って何考えてるんだ俺っ!!!」

ガツン!

途中から妄想に突入した自分の思考を軌道修正しようと一発柱に頭を打ち付ければ、額が割れてたらりと血が垂れてきた。指先で拭えば温い液体が掌を染める。ルルーシュを待たせているというのに、一体何をしているんだろう自分は。頭に登った血が文字通り降りてきて一気に冷静になったスザクは仄暗い自己嫌悪に陥る。タオルでごしごしと額を拭うもよほど強く打ち付けたせいか血が止まらない。自慢じゃないが幼少から武道を嗜んでいたのでこの手の力業に関しては半端ない自信がある。

「あの…、今もの凄い音がしましたけど大丈…」

ぶですか、までいかず突如欠けられた声は消え入った。振り返ると驚いた顔をしたルルーシュがいてスザクは固まる。ただでさえ白いのに、青い顔をしたルルーシュが倒れやしまいかとスザクは思考が明後日に飛びかけた。初対面の男が額からだらだらと血を流して立っていたらそれはもう驚くだろうなと思ったがこういうのを現実逃避という。まず間違いなくルルーシュの中でスザクに対する評価は下がっただろう。現状、自分の姿は情けないにもほどがある。

「何してるですか!!?」
「あーちょっと転んで頭打っちゃって。」

まさか自分から打ち付けましたとは言えるはずもなく。

「それより早く手当て!救急箱は何処ですか!!?あとタオルと保冷剤か氷!」

冷静なルルーシュは必要なものを叫ぶと、鮮やかな手つきでスザクの怪我の手当をしてくれた。






「本当にごめんね。」
「いえ、大した手間でもないので。」

タオルに包んだ保冷剤で額を冷やしながらスザクは救急箱に包帯を直すルルーシュに向かって頭を下げる。その横顔は苦笑しているように見えて、スザクは一人で落ち込んでいた。それでも布を当てる時に触れた細い指先だとか、たんこぶになるといけないからと宛がわれたときに額に移ったルルーシュの体温を思い出しては悦に浸る自分がいるのだからもうどうしようもない。早々に対処したロイドは正しかったと言わざるを得ない。こういう恋は放っておいたらきっと悪化の一途を辿るのだろう。

「本当に、ごめん。」
「もういいですから、謝らないでください。」
「ううん、そっちじゃない。絵のこと。」

スザクは畳に頭をついて、丁寧に頭を下げた。突然の行動にルルーシュが息を呑むのが分かったけれど、構わず話を続けた。

「君を勝手に描いたこと。それを人目に触れさせたこと。本当に申し訳なかったと思ってる。」

例え自分が本当は誰にも見せるつもりがなかったとしても言い訳には鳴らない。育ちすぎた気持ちをぶつけた先の絵が、いつかはスザクの手に負えなくて何処かへ行ってしまうことは少なからず予想できたことだ。そしてロイドがとった処置に対して何か言える程、自分は立派な人間ではない。ルルーシュの許可も取らずに隠れて絵を描いていることしかできない自分が一体何を誇れるというのだろうか。

「それでも君を描きたかったから描いたことだけは、どうか心に留めておいて欲しい。」

自分なりに真剣に考えて言葉を紡いだつもりであったけれど、やはり内心は落ち着かなかった。素直に謝ったからと言ってルルーシュが許してくれるとは限らない。怒られることも勿論覚悟しているけれど、できれば嫌われたくなかった。都合が良すぎる、と自分でも苦笑してしまう。でも本当に嫌われたくない。怯えながら暗い畳を見つめているとルルーシュの溜め息が聞こえ、スザクは肩を震わせた。

「顔を上げてください。」

そして肩に伸ばされた手に導かれるようにしてスザクは面を上げた。仄かに眉を顰めて笑っているルルーシュがいて、その表情に胸が切なくなる。こんな顔もするんだ、と新たな発見をしてスザクはぼんやりとルルーシュの顔を見つめた。

「本当は怒ってるんですよ。俺は見ず知らずの人に勝手に描かれて、それでまぁいいか、で済ませられるほど心が広い訳じゃありません。だからあの絵を見た時、暫くは呆然としてましたけど後から沸々と怒りが湧き上がりました。」
「うん…。」

ルルーシュの声は至極穏やかだったが、とても強くて、自然とスザクの胸を打った。こういう風に喋って、こんな声を出す人なんだな、と思った。

「でも同時に、同じぐらい怖かった。一体どこで見られているのか、これを描いたのはどんな人なのか分からないのは怖いものですよ。それに、あんな風に俺を描かれたことも。自分の知らない自分を描かれたようで、全部見透かされたようで本当に怖かった。だからここに来たら一番に文句をいってやろうと思っていました。でも、止めておきます。」
「へ?」
「あなたの顔を見たら毒気を抜かれましたから。」

そう言って笑ったルルーシュの笑顔の艶やかなこと。本当に、この時初めてスザクはルルーシュに笑いかけて貰った。それが嬉しくて、まず間違いなく毒気を抜かせた原因さえ頭から吹っ飛ぶ。先ほど地面に擦りつけたせいで痛みが湧き上がって来ていたから保冷剤を当てると、自然と鈍痛はひいていった。

「ありがとう…。」
「でもまだ少し怒っていますので。」

でも易しく笑ってるから全然不安にならない、とスザクは思った。それに、何だか許されたら違う感情が溢れ出てきた。誠心誠意謝ろうと思っていたのに、ルルーシュの笑顔が見れただけで枷なんてどこかへ行ってしまった。この笑顔が見れるなんて、どれだけ僕は幸せなんだろう。

「うん、分かってる。ありがとう…あぁ、ごめん、かな?どうしよう嬉しすぎて、自分でも何言ってるのか分からない。」
「嬉しい…って…・・・。」
「ねぇルルーシュ。ルルーシュって呼んでいい?これからも君のこと描いていい?君にモデルになって欲しいんだ。」
「・・・・・俺の話聞いてましたか?」

聞いてるよ、と笑顔でのたまった相手にルルーシュは心底どうすればいいか考えあぐねているようだ。見目では割と人の良い好青年、少し抜けているところもある、ように見えたがどうやら意外と強かだったらしい。これは一発怒ってもへこみそうにないのでは、と考え直しているところに、スザクは身を乗り出して迫ってきた。間近に翡翠のような瞳が迫って、ルルーシュは仰け反りそうになる。スザクは今度はうって変わって真剣な顔をしていた。


「俺が描きたいのは、ずっと君一人だけなんだ。」


そっと触れてきた指先が手の甲に重なるのを、ルルーシュはその暖かさで感じた。









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