【たったそれだけのこと、なのに・後】







夏の焼け付くような日差しの元、スザクは自転車を押してコンクリートの歩道を黙々と歩いていた。三日間の講義が終わって直ぐ、藤堂やOB達が打ち上げに誘うのも振り切って夜行バスで帰ってきたスザクは、家の玄関に重い荷物を放り出すとシャワーを浴び服を着替えて家を飛び出した。時刻は午前十時。
そしてルルーシュに会いたくて自宅に向かったのは良いものの家には誰もおらず、げんなりしている時に今日が生徒会活動の日だと思い出した。生徒会副会長を努めている彼は夏休みにも何回か活動日があるらしく運悪く今日はその日。気付くやいなや自転車に跨りスザクはルルーシュが通う学校に直行する。そして現在に至る。

(近くに見えてるのに意外と遠い…。)

ルルーシュが通う学校は私立アッシュフォード学園という、名前からしてちょっと高そうな学校だが事実お嬢様おぼっちゃま学校。中等部から大学部まで完備している学校は建物自体が巨大で、とにかく広い。大学部を通り過ぎて尚つかない高等部に、スザクはちょっと辟易した。あまりの暑さに坂道を登る余力もなく、自転車を降りたのはいいものの今度は風もない日差しがキツイで汗が止まらない。出掛けにシャワーを浴びても、これで全部無駄になっていると思いながらスザクはひたすらルルーシュを目指す。それはあたかも乾いた土が水を求めるに似て、スザクにとって至極自然なことだった。

(ルルーシュ、ルルーシュ、会いたいよー。)

頭の湧いたような発言を脳内で繰り返しながらスザクは漸く坂を上り終えた。アッシュフォード学園はちょっと小高い丘の上にあるので一般人が何の気無しに目指す場所ではない。通学バスが出ているのでそれに乗れば良かったのだが生憎スザクは自転車で来てしまった。故にもうそのまま突っ走るしかない。講義の準備期間を合わせてこの町を離れて四日。その前はまた活動のあったルルーシュの都合で三日。基本的に夜は会いに来てくれないルルーシュに、合計一週間も会っていない。色々と限界だった。その限界がスザクを追い立てている。そしてスザクは漸く高等部の校門前に、着いた。そして気付いた。

「…入れないよね。どう考えても。」

ここまで来てその事に気付いた自分の馬鹿さ加減にスザクは本気で頭が湧いている、と思った。どう考えても部外者の自分ではこの中に入れない。職員玄関から取り次ぎして貰って入るという手もあるが、ルルーシュの知り合いと名乗って入るのは明らかにルルーシュにとって迷惑な行為だ。自分と彼は、そこまで親しい間柄ではない。取り敢えず会いたくてここまで来てしまった自分の頭を、校庭で爽やかに活動している野球部が使っている金属バッドを拝借して殴りつけてやりたかった。

「うわー、うわー///馬鹿だろう、僕…///」

校門前に蹲り頭を抱えるスザクを不審な目で眺めては行く通行人達。その目は厳しいがスザクは己の行動に没頭するあまりそれに気を配るどころではない。うんうん唸りながらどうやってルルーシュに会うか、そればかりを考える。ここに至ってもまだ諦めない自分の根性だけは誉めてやりたいぐらいルルーシュに会う手段だけ考えていた。足には自信があったのでいっそのこと校内を駆け抜けるか?と思ったが見つかれば変質者騒ぎだ。警察に通報されたらルルーシュにも白い目で見られるだろう。終わる自分。

(あー、馬鹿馬鹿バカっ!バカ以上の単語って何だ!?もうとにかく、救えない・・・っ!)

そして連絡するという手段に至らなかったのは慌てて出てきたせいで鞄に携帯を入れっぱなしにしたままだったからだった。基本的に外出も少なければ個人商売のスザクは携帯を携帯する習慣がもの凄く薄い。スザクはその瞬間、『急がば回れ』という小学生の頃習った慣用句を思い出した。

(るるーしゅ、君が足りないよ…。)

その現場を見たらお前に足りないのはルルーシュじゃなくて頭の方だよ、と人は言うだろう。スザクは普段は意外と冷静で物事に淡泊な自分をここまで駆り立てるルルーシュがちょっと小憎らしかった。

(嘘…、大好きです。)

自分の発言にツッコミを入れている場合では、ない。灼熱の太陽が容赦なく照りつける中スザクは自分の中の何かが崩壊する瞬間を感じた。スザクに残された手段は、もはやひとつしかなかった。それは、

己の心の安寧の為に、ルルーシュの名前を呼ぶ!

「ルルーシュ…っ!」
「なんですか?」

そんな何の解決にもならない手段に大の大人が身を投じた瞬間かけられた声に、スザクは常人ならざる速度で振り向いた。そしてスザクはその人間の顔を見た瞬間嬉しさのあまりくしゃりと顔を歪ませた。泣き笑いのような顔をさせて全く状況についていけなかったのは、偶然通りかかったルルーシュの方だった。

「どっ、どうしたんですか…っ!?」
「ルルーシュ…。」

右手に買い物袋を持ったルルーシュは突然現れたスザクに本気で狼狽える。スザクが何故ここにいるのかも分からないし、泣きかけていることに至っては全く原因が掴めない。全部自分が原因だと知ったらルルーシュはどうするだろうか、とスザクはどうしようかと慌てているルルーシュを見つめていた。思わず抱きしめなかったのは、ここが公衆の面前だと思い出すだけの理性はあったからだ。けれどここがもし自分の家先だったとしたら迷わず抱きしめていたことだろう。それぐらい久しぶりに見るルルーシュは可愛かった。

「やっぱり夏服、可愛いね。」
「…スザクさん。先に、俺に、この、状況を、説明してください。」

一語一語区切ってねちっこく問いただすルルーシュは相当この状況に戸惑っていたが、出会えた喜びに感涙に浸っているスザクは話を繋ぐ気配がない。ルルーシュは目の前の駄目な大人に思いっきり溜め息をついてみせた。だがその間もスザクはルルーシュの姿に悦に入っている。白い半袖のシャツが黒のすっきりとしたシルエットのズボンにきちんと収められた姿はルルーシュの細身を引き立てているし、校章入りの黒いネクタイが品の良さを伺わせ何より惜しげもなく外気に晒された白い二の腕が美しい。そんなことを考えていると知ったら頭一つ分以上高いスザクに、ルルーシュは迷い無くアッパーを喰らわせただろう。

「ルルーシュに会いに来たんだ。」

だが恥ずかしげもなくそんな事を言って憚らないスザクの心情など分かるはずもないルルーシュは、まるで飛びつかんばかりに微笑まれ、顔を赤く染めた。不意に逸らされた視線と仄かに染まった横顔はスザクの劣情を駆り立てるには充分すぎて。

「ルルーシュ…。」

もうここがどこだろうと、どうでもいい!とスザクが抱きしめるために腕を伸ばしかけた瞬間またもや遠方から声がかけられた。先ほどと違ったのは、それがスザクではなくルルーシュに向けられたものだということ。呼びかけに答えるように振り向いた先では同じ年頃の男子生徒が両手にいっぱいに袋を下げて息も絶え絶えに歩いていた。

「大丈夫か?リヴァル。」

リヴァル、と呼ばれた少年はルルーシュと比べて明らかに荷物を持ち過ぎだった。だがルルーシュは手助けする気配もなく、いつもの笑顔で声をかけるだけ。その対応にヘソを曲げたようにリヴァルは眉毛をハの字にした。

「だいじょーぶじゃないっ!ってのっ。気を遣うぐらいだったらお前もちょっとは分けて持てよな〜。」
「俺は自分のノルマ分は持ったさ。余計なものを買って荷物を増やしたのはお前だろう?」
「だって会長がさぁ!」
「言っておくがミレイの分は生徒会予算で卸させないからな。」

うげっ、と蛙を潰したような声を出したリヴァルは、会話の間にもどんどん近付いてきてルルーシュの隣に並んだ。スザクは声を発する隙がないため二人のやりとりを見守っていたが、当然のように穏やかではなかった。同年代の友達と会話するルルーシュを初めて見たからかも知れない。自分には向けられない突き放したようで優しい声が酷くスザクの神経を侵す。

(ルルーシュ、普段こういう喋り方するんだ…。)

今までルルーシュが近しい友達と話している所を見たことはなかった。自分以外ではロイドと何回かあったが、まだ距離を置いた話し方だ。そしてナナリー。彼女はルルーシュの特別すぎる特別だから、憧れて遠巻きに見るだけで触れようとは思わない。でも、これは違った。

「どうせ上手い具合に話に乗せられたんだろう。あの人は思わせぶりな事を言う天才だから気を付けろよ。」
「へいへい。ルルーシュは俺が会長に弱いの知ってるもんねぇー。そういう忠告は先にして欲しいよな。」
「ははっ。自覚があるなら、結構なことだ。頑張って次に活かせよ?」

そう言った瞬間の笑顔があまりに年相応に無防備でそこに慕わしさ以外の何も入り込んでいなくて。

どうしてそんなに純粋に笑うのかと問いただしてやりたくなった。

その男は、ルルーシュにとっての特別なのか、と。

「ルルーシュ。」
「?どうしたんですか?」
「ごめん…、帰るね。」

でもそんな思いの代わりに口から飛び出してきたのは酷くつまらない言葉で。突然すぎる言葉に驚くルルーシュを振り払うようにスザクはその場から逃げ出した。背中越しに名前を呼ぶ声が聞こえるけど、それさえスザクを引き留める材料にはならない。ただ行きは苦労した坂道を、車輪が回るまま下った。きっとルルーシュは、呆然と自分の後ろ姿を見送っていることだろう。

(あぁ、つまらない男だ。)

ルルーシュが誰かに向かって笑った、たったそれだけのことなのに。

(たったそれだけのことにこんなにも醜く反応する自分がいる。)

なんて狭量な。そんな当たり前のことが許容できない自分に吐き気がする。先ほどの笑顔が脳裏に甦るたびに、向けられている男がいることを知るたびに吐き気がする。そして自分は、それが何一つ特別なことではないと知っている。

質問するまでもなかった。

だって答えを知っている。ただ受け入れたくなかっただけだ。受け入れられなかったから逃げ出しただけ。あの男が特別なのではない。



自分が、特別ではないのだ。



手に入れたと思っていた笑顔さえ、自分のものではないと知らされる瞬間。





踏み込まなければ、と思った。









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