【答えを失くした間柄・2】






結局一週間経ってもスザクは帰ってこなかった。その次の日はまだ帰ってきたか確かめに家に向かったりもした。でもその次の日もスザクが走る姿は見えない。いもしないのにその影を追いかけ回させる何かが癪で、ルルーシュはそれからスザクのところへ行くのは止めた。何かあれば彼方から来るだろうと、真夏に学園まで来た彼の笑顔を思い出す。まだ日差しは強く窓際のルルーシュを打っていた。

「では教育実習の先生を紹介します。」

教師の話を最初から聞く気のないルルーシュはその言葉にも一貫して窓の外を見続けた。生徒達の間に広がるざわめきにも交わらず、しつこく鳴き続ける蝉の声に耳を澄ます。空調が完璧な室内ではその声にも不快さは感じない。美術室に漂う独特の香りはスザクの絵が仕舞ってある部屋に似ていてほんの少し懐かしさを感じさせるし、目の端々に映る木々の青さもルルーシュを癒すものだった。人の声よりずっと心地よかったから、自然とルルーシュの神経はそちらへ行きっぱなしになる。

両手両足の指で数えられる程前に、あの部屋で一時間も二時間も飽きずに絵を見ていた時のこと。

あの時も薄暗い室内から切り取られたかのように窓の外には青空が広がっていた。輝く光に照らされて絵を見つめる自分の背中を、スザクはどんな気持ちで見ていたのだろう。ふと振り向くと麦茶を手にしたスザクが立っていて、あからさまに慌てて見せた彼にいつからそこにと問えば、一時間前からという馬鹿みたいな答えが返ってきて心底呆れた。それはそんな長い間ぼうっと立ち尽くしていたスザクに対してでもあったし、それだけ長い間後ろに立たれても全く気付くことがなかった自分自身に対してでもあった。すっかり氷が溶けてしまった麦茶を二人で煽ったあの日のあの時。


見つめた彼と、見つめ続けられた自分の間には何が存在したのだろう。


夏特有の流れる入道雲に見入りながら、自分でも気付かないうちにスザクとその想い出に思いを馳せていたルルーシュを不意に呼び戻したのは壇上で自己紹介しているはずの教育実習生の声だった。

「あっ。」

話の脈絡とは全く関係なく、そんな声が耳に入った。明らかに驚きの声を発したその人に、ルルーシュは初めて黒板の方へと視線をやりそして自身も驚くことになった。彼女の視線は間違いなく自分に向けられていたからだった。燃えるような赤い髪に深い川のような碧、強い意志を秘めた眼差しが印象的なその女性は美人だったけれどルルーシュに覚えはなかった。だからこそルルーシュ自身も戸惑って視線を返すが、その女性は早々に気を取り直したらしく前を見据えた。生徒達が別の意味でざわめきだしたのを留めるように発せられた声は凛と透き通っていて、とても力強かった。

「これから短い間ですが、宜しくお願いします。」

頭を下げて挨拶し終えたその女性が何という名なのかさえ、ルルーシュには分からなかった。





「教育実習生の名前〜?なんだぁ、やっぱり聞いてなかったか。」

でもお前が気にするなんて珍しいのな、と静物画を描きながらリヴァルがにんまりと笑った。その顔には何か事情が?と楽しげに書かれていたがその期待には応えて上げることはできない。ルルーシュは横目で件の教育実習生をちらりと見遣った。するとふと視線が合う。あまりのタイミングの良さに自分が悪いことをした気分になったが、実習生は特に何も言わずに視線を逸らした。

「名前はカレン・シュタットフェルト。年は21歳で、現在彼氏無し。見ての通り美術担当。担当クラスは二年B組。」

訳が分からなかったので仕方なく隣で講釈をしてくれているリヴァルの方に向き直る。明らかに余計な情報まで交じっているのは情報通の性だ。親切心だけ受け取っておいて名前だけ頭の中に刻み込む。

「もしかして惚れっちゃたりした?」
「…無理矢理にでもそこに持って行きたいんだろ?」
「だってルルーシュが他人を気にするなんて珍しいじゃん。しかも相手が美人で年上とくれば火が無くても煙を立てたくなるってもんよ。で、実際どうなの?」
「どうもこうもない。」
「そっけなさすぎ!」
「受験で忙しいからって俺に潤いを求めるな。分かっていると思うが波風立てたら、怒るぞ?」
「恋も勉強もカラカラな俺に、愛を下さい…。」

凄んで忠告すればそれだけ言い残してリヴァルは机に突っ伏した。鉛筆を塗りたくった林檎の絵に額が当たっているから黒くなってしまう、と思ったが起こすのも可哀想な気がして止めた。受験生は駆け出し最早後は持久戦、となった九月。彼がミレイの行った有名大学を目指して大変な思いを味わっているのは知っていたから慰めにぽんと背中を叩いてやる。それには描ききってしまわないと提出に間に合わないぞ、の意も含んでいたがやっぱり起きる気配はなかった。

「あと十分で提出よ。」

だがそんなリヴァルをカレンが起こした。突然真後ろに迫られてルルーシュは僅かに怯んでしまったが背中を叩かれたリヴァルはその比ではなかった。それが心なしか大きかった叩く時の音のせいだったのかは分からないがしどろもどろになってリヴァルはカレンに話しかける。カレンはさっき目があったのがまるで嘘とでも言うように特に俺の存在を気にすることなくリヴァルの絵を批評して忠告を付け加えてやる。ルルーシュは何となくその様を眺めていた。すると話の最中にカレンがちらりと自分を振り返った。だが何?と問う暇もなく一枚の白い紙を差し出される。二つ折りにした名刺ほどの大きさのそれをルルーシュが受け取ったのを確認するとカレンの視線はすぐに何処かに言ってしまった。

そして、それから二人の視線が合うことは無かった。



紙には、放課後屋上に来て、とだけ書かれていた。









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