【答えを失くした間柄・3】
放課後、ルルーシュが屋上に着くとそこにはひとつの人影があった。まだ赤く染まる気配の薄い夏の空を見つめながら柵に寄りかかる人は、屋上の重厚な扉が締まる気配と同時に振り向いて微笑んだ。
「突然呼び出してごめんなさい。」
詫びを入れながら浮かべた笑顔は教室で見た時より幾分くだけた雰囲気を醸し出していた。けれどそれでも損なわれない強さはこの人、カレン・シュタットフェルトの本質なのだろうと思いながらルルーシュは彼女に近付く。
「構いませんよ。特に用事もありませんでしたし。」
「生徒会副会長なのに?」
「耳が早いですね。生徒会だって休みぐらいありますよ。ところで…用事はやはり絵のことですか?」
カレンは返事にこくりと頷いた。
「気付いてたの?」
「見知らぬ人に声をかけられる所以となればそれぐらいしか思いつかないだけです。しかも人知れず呼び出したということは、貴方は枢木スザクの個人的な知り合いなんでしょう?」
この質問にはかなり自信のあったルルーシュだが対してカレンの表情は苦いものだった。苦渋の色に、一体どこで不快にさせたのか疑問に感じたルルーシュだったがカレンはそれに対する答えを述べる気は無いらしく渋々と言った感じで肯と答えた。
「まぁ…ね。あの人とは先輩後輩の関係なの。もう長い間会っていなかったんだけど作品は好きでよくチェックしてたわ。」
妙に作品『は』の部分に力がこもるカレン。おそらくそれ以外はいけ好かないと言いたいのであろうことは顔を見れば一目瞭然だった。どうやらあまり感情を隠すのが上手いタイプではないらしい。そんな不器用な様をさらけ出しながらカレンは話を続ける。ルルーシュは初対面の自分にも緊張する様子は見せなかったら猶更カレンは饒舌になった。
「昔からどうしてこんなってぐらいに綺麗な絵を描く人だった。才能も有り余るぐらいあって、憧れの的にしている子達も多かったわ。そんな子達は戯れにでもあの人に絵に描かれたがってたけどあの人は一度として聞き入れることはなかった。ホントに頑固で融通が利かないっていうか、そういう時だけ柔和な笑顔を浮かべながら冷たい言葉ですげなく断るのよ。別に描きたくないなら無理強いするもんでもないからそれはそれでいいんだけど、あの態度はそれだけじゃなかったわ。あの人は…そうね、根本的に人を美しいものだと思っていないのよ。」
そこまで一気に喋ってルルーシュの瞳を見つめ直す。顔には特に何の感情も浮かんでおらず不安が過ぎる。かなり枢木スザク個人に踏み言った会話をしたが、それに対する反応がないというのは話をする側から言えばやりにくかった。カレンは立ち話もなんだ、と座ることを提案した。ルルーシュはズボンが汚れるのも構わずさっさと地べたに腰を下ろしたカレンに苦笑いして倣う。
「ごめんなさい。ちょっといきなり話が込み入りすぎたわね。」
「いえ。先生が伝えたいことがあるなら、先に全て伝えきってくださって構わない。俺は今日は話を聞きに来たつもりでしたから。」
その笑顔といい口調と言い大人の対応だったがカレンはほんの少し違和感を感じた。何となく年下の女の子を見る目で見られているような、小動物を眺めているような、そんな視線である。はたと思い返せば自分と少年は殆ど年も違わない事実に思い至る。そうなれば今の立場を踏まえた話し方は間怠っこしかった。
「その先生っての止めて。実は今日一日むず痒くて仕方なかったのよ。私って全然教師って柄じゃないわ。教わるのは好きだけど、教えるのは苦手なの。カレンで良いわ。」
「そうだと思いましたよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
あっけなく要望をのんだルルーシュに、カレンは開いた口が塞がらなかった。この切り替えの早さは大人とかいう問題ではない。ちょっと斜に構えて余裕を持って上から見下ろすような態度だ。むむっ、と不満を抱くがカレンははっと肩の力を抜いた。おそらくこの少年は同年代の友人とは違う世界を知っているのだろうし、頭の回転も恐らく恐ろしく速い。だとすれば自然こういう態度になるのだろうと当てをつけて自分を納得させた。見え隠れする態度云々はともかく、賢い人は総じて話をしていて楽しかったし礼儀を欠くことはないからそれも安心だった。良くも悪くも話はしやすい人間だったのだ。このルルーシュという少年は。
「それでカレンは学生時代全く人物画を描かなかった枢木スザクが突然書き出したことに驚いて思うところもあり、尚かつそのモデルが目の前に現れたので伝えなければと意気込んだのか?」
話ははやいが、これはちょっと早すぎるではないかと思う。早々に纏めに入られたぞ。まだ話し始めて十分も経ってない。
「…意気込んだかどうかはともかくとして、伝えたいことはあるわ。でもそれは今はちょっと横においといて。貴方と枢木スザクって、どういう関係?」
慌てて軌道修正するカレンに、ルルーシュは特に混ぜ返すこともせず話に乗る。
「画家とモデルの関係です。」
「それだけ?」
「それだけですね。」
「嘘…、じゃないわね。貴方の顔見てるとホントにそれだけの関係なのがよく分かるわ。」
「もっと特別な関係だと思いました?あの人が絵に描くぐらいだから。」
その答えはイエスだった。正直何の関係もない、と言われたも同然でぴんと来ない。少なくともスザクの側に特別な感情があることは確かではないか、とカレンは思っている。確信はあったが確証をとったわけでもないからとりわけ話題にするのは憚られたが。ルルーシュの爽やかな笑顔は思わせぶりで、けれどそれ以上になにも読み取ることは出来ない。
「俺とスザクさんの間には、それ以外の何の関係もありませんよ。」
「…はっきりと言い切るのね。」
「自覚がありますから。」
さらりと言ってのけたルルーシュはカレンではなく空を見つめていた。背を向けているのが西だから、もう見つめた先の空は紺色に変わりかけていた。カレンはルルーシュの横顔を見つめながら溜め息をつきたい気持ちを抑え込んだ。楽しい話をするつもりはなかったが、これではあまりに寂しすぎるではないか、と思う。
「私、最初あなたをみて本当にびっくりしたわ。」
「そうですか。」
「あなたが存在したことに驚いた。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・その台詞、前にも言われましたよ。」
言ったのが誰かはカレンには分からなかったが、少なくとも枢木スザクの内面に踏み込んでいる人間だろうと推察はできた。その人物がそう言った真意もカレンには理解できる。何故ルルーシュが実在していることに驚いたか、と尋ねられればカレンもその人もまずこう答えるだろう。枢木スザクが人を描くと思わなかったから。だとすればこの人物は誰?その答えもこうだ。
「世の中の人に絶望した枢木スザクが生み出した幻の人だと思ってた。」
「…ひどい言われようですね、スザクさんも。」
「ひどいと思うけど、これしかなかったわ。妄想画だと思ってた。あの人が、ただこういて欲しいと想う人を描いたと思ってた。絶対に叶うこと無い人を描いたのだと思ってたわ。」
だからルルーシュがいて本当に驚いた。そう告げればルルーシュは今にも泣きそうな顔をした。それでも取り繕った笑顔が見ていられないぐらい痛々しくて、カレンは自分が失言をしたのかと危ぶんだ。ルルーシュはカレンの言葉に一通り耳を傾けると、思い詰めたように口を開いた。
「スザクさん…俺のこと好きだと思いますか?」
「まず間違いなく。」
カレンは強く頷いて答えた。ルルーシュはそれに苦笑する。カレンの言葉は淡々と確実にルルーシュに迫る。そしてそれまで認め得なかったことに確信を与えてくれる。けれど今は足場が固まることが何より怖かった。
「長い間会っていなかった貴方でさえそう思うんですね。でも俺はそんな風に思わなかった。スザクさんは俺の顔が好きなんだと思っていた。ただ純粋に造形物に対しての美的関心からだと思っていたんです。」
「そういう捉え方もあるにはあるけど、結論を出すのが早すぎない?顔が好きなだけで、そこにそれ以外無いなんて悲しすぎるし、描かれていてあなたは何も思わなかった?あいつは好きでもない人を描ける程器用じゃないわ。」
「そうなんですよね。最近、やっと分かりました。」
カレンの言うことは最もだった。顔が好きだという、それ自体好意の一つの形だ。勿論それが外側だけに留まるか、内側に及ぶかは全く別の問題だったがスザクの態度は明らかに内面への好意も現していた。そこまでされていて全く好かれているという事に注意を払わなかった自分にただただ苦笑するしかない。
「俺は、あの人にとって特別なんでしょうね。」
ルルーシュの独り言にカレンは答えを返さなかった。目の前の少年が一体何を思い、何を憂いているのか、漠然とでも分かったからだ。少年の中には明らかに葛藤が存在していて、自分が伝えたかった言葉はそれを掻き回す材料にしかならない。
あの人の傍にいてあげて、と言いたかった。
自分勝手な願いだとは思う。けれどどうしても伝えたかった。あんなに人を描くことをしなかった彼が、思い詰めたように形にしたものに胸を打たれたから。スザクの気持ちに答える義務はルルーシュにはない。あまりにも当然すぎることだけど、ルルーシュがスザクにとって特別すぎる特別だと分かったからせめてとばかりに望もうとした。スザクのことを愛している訳ではなかったけれど、その幸せを願う程には好きだったのだ。
あの、人を好きになることができない人が心から願った人、願った思いはせめて叶って欲しかった。
ルルーシュがスザクの内情を知っているとは思わない。けれどその言葉には確かに一つの答えに至っていると告げていた。カレンが伝えたかったことは、もう一つの事実としてルルーシュの中に生まれ出でていた。その上で葛藤するというならそれにカレンが与えられるものなどなにもない。
ルルーシュは徐に立ち上がるとズボンを払い、そして先ほどカレンがもたれ掛かっていた柵に腕をついて空を眺めた。もう西の空はまるで燃えているように真っ赤になっていた。続いてカレンも立ち上がったのを感じとると、ルルーシュはぽつりと言葉を溢す。
「俺は、あの人が特別なのかどうか、まだ分からない。」
スザクに好かれていると知って嬉しかった。スザクと共に過ごした日々も楽しかった。
けれどそれが永遠に続いて欲しいと願う程彼が好きなのか、ルルーシュにはまだ分からない。
本当は答えが出掛けていたけれど、それを認めることもできなかったからルルーシュの中に結論はまだない。先延ばしにし続けるのはこの曖昧な状況が続くせいだと言い訳しながら、ルルーシュはスザクの家のある方角を眺めた。遠いけれど町の外れにあるその家ははっきりと捉えることが出来る。今日スザクが帰ってくるか、ルルーシュは知らない。
今までスザクの特別だったのだと知った。
けれど今、自分がスザクにとって特別なのかどうか分からない。
綻びかけた日常がすぐ目の前に迫ってルルーシュを苦しめる。確かめる人のない思いは宙づりにされたまま糸が切れるのを待つばかりだった。そしてルルーシュはそれを恐れている。
特別を知ってその喪失を恐れるなら、それにはどれほどの思いが秘められているというのだろう。
心の片隅に特別が壊れることを憂う自分がいることを知りながら眺めた夕日は、悲しい程寂しく映った。
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