【触れたくて、でも触れたくなくて・2】
「何かあったわね、ルルーシュ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・単刀直入ですね。」
自分でも寝不足で目が腫れぼったくて、その疲れに肩が若干下がりぎみになっている自覚はある。だが一見してこうも確信的に言われると反抗したくなった。隠すことは無駄であると分かっていたが。
「久しぶりに登校してきたと思ったらそんな顔して、聞きたくもなるわよ。」
「先生って人の世話を焼くのは下手な割りに、お人好しでお節介ですよね。矛盾してますよ。」
「う、うるさいっ!///ここはね、素直に悩みを話してみるもんなのよ!」
「そんな言い方したら話せるものも話せませんよ。・・・・と、これからお昼どうです?どうせ引き下がる気なんてないんでしょう?」
「そんな挑戦的な言い方されたら、引き下がれるものも引き下がれないわよ!」
廊下の真ん中で行われる小気味よい応酬に生徒達が一様に注目するがルルーシュは注意を払う気は無かった。そしてカレンと言えば完全に自分達が浮いていることを失念している。教育実習生と生徒会副会長。どちらも見目麗しいだけに人の口に上りそうだが、二人とも色恋沙汰には全くもって鈍かった。ルルーシュはカレンの右手の、緑色の綺麗な布に包まれた弁当かと疑いたくなるようなサイズのものを指さして、屋上に促した。ルルーシュもちょうど読みかけの本の上に、弁当をのせて腕の中に抱えていたのだ。
「え〜っと、どういう組み合わせなんでしょうかこれは。」
「気にするな。全力で流せ。」
「無理無理。不可能、です!」
屋上の扉が開いたと同時に、リヴァルは待ちわびた人物を手を振って出迎えた。そしてその後ろに続く見慣れた、しかしあまりに予想不可能な人物に全身がぴしりと固まった。教育実習生カレン・シュタットフェルトは一生徒の動揺も意に介さず、ルルーシュが座った隣にどっかと腰を据えた。その座り方が意外に男らしかったなんて、そんなものは見なかった振りをしておこう。ごく自然に大きな弁当箱、おそらくは御重なのだろう、を広げたカレンは砕けた口調でルルーシュに話しかけた。
「先約がいたなら後でも良かったのに。」
「先生が引き下がりそうになかったので。それにリヴァルはいても居なくても気にすることはありません。」
「そう。なら気にしないでおく。」
「うわっ!俺スッゲー言われよう…。」
「これで中々口が堅いし気配りもできるので。」
「それってフォローですかあ?」
リヴァルとの会話の内容にカレンは興味を示した様子は見せなかった。ただおにぎりを頬張っては卵焼きや肉団子を口に放り込み会話の合間に黙々と食していく。リヴァルは完全に自分の存在が黙殺されたのを見て取って、空気に徹することにした。
「で、何があったの。」
「特に何も…。」
「今更そういう事言わないの。それなら私達の今まではなんだったのよ。」
誤解を生みそうな発言にルルーシュはくすりと笑った。リヴァルが必死で何かを噛み殺しているが、それも見ない振りをしておいた。カレンは至って真剣だ。ルルーシュは深呼吸すると、自分のお弁当に視線を落とした。
「実は、」
「実は?」
「キスされました。」
「・・・…ぶ…っ!」
その発言に吹いたのはカレンではなくリヴァルだった。口から止めだしたのはパンの欠片に続いて苦しそうな息。しかしルルーシュもカレンも真面目な顔をして見つめ合っていた。
「それはまた突然ね。」
「えぇ。突然でした。」
「殴ってきた?」
「…いえ、それはしてません。」
あまりと言えばあまりなカレンの発言に一瞬怯んだルルーシュ。しかしカレンは追い打ちをかけるように真っ赤な髪をかき上げた。その顔にはありありと労苦が浮かんで見える。カレンは事の次第を、おそらくは詳細に想像することが出来た。ルルーシュが彼の行為を完全に拒否していないことは見て取れる。ただ順序を踏み越えた行為に戸惑っているのだろう。だが、
「そういう時はね、一発ビンタでもしておくものよ。あいつそれぐらいでへこたれたりしないんだから!」
カレンにはこういう時やっておくべき事が簡単に思い浮かんだ。長年の付き合いの賜物であるが、そんな事をありがたがったことは未だ嘗て無かった。
「いや、結構繊細だと思うんですが…。」
「ああいうのは繊細とは言わない!ひたすら自分の尻尾追いかけて、誰かが出口でも作らなきゃ永遠に同じ所でぐるぐる回り続けているような、要するに自己保身に長けた気弱な馬鹿なのよ!」
「…ものすごく乱暴な言い方ですがまぁ何となく心意気は伝わりました。」
ルルーシュとてカレンの言い分に心当たりがないわけではない。最初かなり人当たりが良くて誤解していたがあれでスザクは結構な俺様であるし、自覚がないのか頑固で自分という殻を破るのに非常に臆病だ。そんな彼を疎ましく思ったことはないが、時折苛つくことも、まぁあったりはした。
「でもビンタはやりすぎでは…。」
何の前置きもなくキスされた事に憤りはあった。けれどルルーシュの中でそれはそこまでの怒りを生み出しはしなかった。そんな自分に軽く目眩もしたけれど、嫌悪するのは不可能だったのだ。だからだろうか。どういう意味を持つのか分かっていても許してやろうと思ってしまうのは。
そんな自分も馬鹿だと、ルルーシュは思う。
これでは何のためにまる二日も学校を休んでまで悩み続けたのか分からない。
「ふ〜ん、満更でもなかったんだ。」
「…っ///そんなことは言ってません!」
だがコーヒー牛乳のストローを加えて半眼で突くカレンに、ルルーシュは不覚にも真っ赤なってしまった。決して嫌悪するほどではないが、不意打ちで与えられた感触はルルーシュの泥沼に陥っていた思考を混乱に陥れる程には嫌なものだった。
「でも嫌じゃないんでしょ?」
「嫌ではないからといって良かったというのも変な話でしょう。」
「それはそうだけどさぁ。うーん…そうねぇ、じゃ聞くけどぶっちゃけ彼のこと愛してる?」
「・・・・っ!」
今度はルルーシュが咳き込んだ。どうにかお茶を吹き出すのだけは阻止したが、ごほごほと気管が痛む。そのルルーシュの背中をリヴァルは撫でてやった。ここに来てリヴァルは静の構えだ。何があっても動揺しない気構えで二人の会話を見守る事にしていた。例えルルーシュのキスの対象に『彼』という全くそぐわない三人称が出てこようとも。
「一気にそこに行きますか?」
「キスしたって事はアイツがどういう気持ちで貴方に接してるのか、分かったって事じゃない。アイツはそういう意味で、貴方の事が特別なのよ。」
「それはよく分かりました。」
「そこがよく分かっていて、尚かつ貴方が嫌じゃなかったって事は結論は出てるんじゃないかしら?少なくとも単なる同性の友人程度の認識じゃ、いきなりそういう行為に走られたら嫌悪感は湧き上がるものよ。冗談で済ませたわけでもないんでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
カレンの言うことは正しい。普通そういう行為は少なからず相手を特別視しない限り受け入れがたいものだ。だがルルーシュは同性に、それもほぼ無理矢理にもかかわらず重ねられた唇に生理的な嫌悪感は押し寄せては来なかった。無意識で受け入れたと言うことはルルーシュにとって彼は少なくとも特別ではない人間ではないのだ。いや、はっきりと言えば。
特別、なのだ。
それが例えどんな種類の感情の元に基づこうとも。そう初めて認識した時、ルルーシュの中に一縷の暖かなものが生まれ落ちた。それは頭の方からストンと降りて来て、体全体に馴染んでいく。彼が特別だと、そう思えたことにルルーシュはひどく安堵した。
「それとも、やっぱりそういう目でアイツのことは見られない?」
けれどカレンの質問にはまだ答えられなかった。彼が特別だとは思うけれど、そういう意味で特別なのかは分からない。
「どうなんだろうな…。」
ルルーシュは自分の左手首を見た。そこにはあの日から腕時計が巻かれている。それを見るたびにあの日の思い出が甦って、全く平静ではいられなくなったのだけれど、何故か外すことはできなかった。
それが何故かなんて、今はまだ分かる訳がない。
例え押し殺すことができないほど熱い思いが、全身を満たしたとしても。
ルルーシュがじっと腕時計を見つめる様を、カレンは切なげな眼差しで見つめていた。
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