【触れたくて、でも触れたくなくて・3】






「あんまりだ…。」
「本当に君は退屈しないよね〜。僕は『可愛い子』って言っただけなのにv」
「その言い方自体、誤解を招いて俺で遊ぼうって魂胆が見え見えなんですよ!人が真剣に悩んでるのに、あんまりだ…っ!俺が知ってる『可愛い子』って、ルルーシュ以外いるわけないじゃないですか!」
「あんたら…女の私に喧嘩売ってんの?」

余程玄関先で突き付けてやろうと思った言葉をカレンは遂に吐露した。流石に数年ぶりに会う『元』恋人に対して出会い頭で心象悪い発言はしたくなかったから我慢していたが、やはり無理だ。十分が限界だった。カレンは飲みかけのビール缶をだんっ、と勢いよく畳の上に叩き付け肩を寄せ合うようにじゃれ合う男二人を睨み付けてやった。スザクは怯まなかったが、流石にロイドは言葉を詰まらせた。

「ははっ、カレンは相変わらずがさつだね。年頃なんだから、もうちょっと…」
「その先を言ったら口を縫いつけるわよ?」
「…すみません。」

カレンが鷹のような眼光を向ければスザクは頬を引きつらせ笑顔を引っ込めた。大人しい謝罪の言葉に、それでいい、とカレンは返す。その男らしい返事に浅くない縁があるスザクは、妙に年をとった気分を味わうことになった。昔もそれなりにさっぱりした性格だったが、ここまで強くは無かった気がする。スザクが年月の残酷さを感じている一方で、カレンは相変わらず癖の激しい髪と童顔を見つめ、その残酷さに違う意味で溜め息が出た。

「…それにしてもどういう風の吹き回し?長い間連絡くれなかったのに。」
「連絡したくなかったんだけどね…。あんた、相変わらずデリカシーに欠けるみたいだし。」
「そ…、そうかな?」

可愛らしく小首を傾げてみせる男に、カレンは容赦などしなかった。その仕草が許される男は今のところカレンの中でルルーシュひとりである。

「ほんの十分前の出来事を記憶から葬り去れる程、鳥頭だとは思わなかったわ。」
「…本当にごめんなさい。」

悪いと思うなら頭を下げてみろ、とカレンは本気で思った。十分前、土産を抱えて門をくぐったカレンを、何故か全力疾走で出迎えた枢木スザクは顔を見るなり情けない程眉を下げたかと思うと、『なんだ、カレンか…。』の一言を残した挙げ句早々に扉を閉めて立ち去ろうとしたのだ。あり得ない。本当に、あり得ない。

「…でもカレンも西瓜ぶつけてきたからそれでおあいこに…。」
「なるかっ!!!」
「…・・・・だよねぇ。」

この期に及んでまだ鬱陶しい男をカレンは一括する。確かに、あまりの怒りに駆られて、土産に持ってきた西瓜を枢木スザクの後頭部目掛けて投げつけた自分の軽率さを恨みはする。そのせいで粉々に分割された西瓜を目の前にすれば猶更だ。だがそんなもので相殺される失礼さではない。本当に、人を何だと思っているのだとカレンは西瓜の欠片に齧り付きながら思った。結局食べれる分だけ拾い上げられた西瓜はビールのつまみ、という情けない位置に納まってしまった。

「それにしてももう秋なのに西瓜って、相変わらずちょっとずれた感性してるよね。」
「暑いんだからいいでしょ。大体感性について、ズレにずれすぎて逆に一周してるような変人に言われたくない!」
「うん。実に的確な表現だねえ〜。」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」」

同時にスザクとカレンの視線が突き刺さったが勿論気にとめるようなロイドではない。全く邪気のない笑顔を浮かべ一人でプリンを食する男に、カレンは脱力した。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。

「本当に、なんでルルーシュもこんな奴に関わっちゃったんだろう。」
「ルルーシュ…っ!?カレン、ルルーシュと知り合いなの!!?」
「…あんたって本当に…。」

ルルーシュという単語に身を乗り出してきた男の頭をカレンは煙たげに押し返す。見たことも無いくらい真剣な瞳をしている男は、本当に、心底鬱陶しくて仕方ない。それでもカレンは抑えに抑え、平静を装った。

「私、今彼の学校で教育実習生をしているのよ。」
「カレンが先生か…。似合わないね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・、えーとっ。それで僕の絵にそっくりなルルーシュを見つけたってことかな?それにしても今でも僕の絵、見ててくれてたんだ。うん、嬉しいよ。」

冷たい視線がスザクを突き刺す。スザクは態とらしく咳払いをしてにこやかな笑顔を作った。久々過ぎてカレンの直情的な性質を忘れているらしい。だがその笑顔に返されるカレンの笑顔はいっそ清々しい程、嘘くさかった。いいたいことはそれだけか?という台詞が彼女の顔にはっきりと書かれている。そしてその顔には完璧な猫かぶり全開の笑顔。お前にやる笑顔など、これしかないと言わんばかりで、自然とスザクの口元は引きつった。

「おかげ様で彼と親密になる良い機会ができたわ。ちょっと意地の悪いところもあるけど可愛くて賢い子ね。」
「おまけに優しくて愛情深い。気高くて、一人で立つ姿が最高に美しい人だよ。けどちょっと抜けている所があって、それなのに意地っ張りだから凄く放っておけないんだ。」
「あんたには勿体ないぐらいね。」
「うん。実際勿体ないよね。」

がぶり、と西瓜に齧り付いたままカレンは思わず固まった。そして何をやいわんや、とスザクの目を見て、ますます身動きが取れなくなった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・あんたのそういう所が嫌いよ。」
「うん。そうだね。カレンは昔から僕のこういう所が大嫌いだよね。」
「そう思うなら治しなさいよ。」
「今は無理だね。」

歯形が付いたままの西瓜を皿の上に放り出し、カレンは布巾で口元をぐいっと拭った。視界の端でロイドが興味深げにちらちらとカレンの瞳を覗き込んでいたが敢えて無視してやった。

「あー、本当に。」

薄暗い室内から光射す庭が妙に綺麗に見えた。自分達の座る場所が妙に湿って、明るさの欠片も無いことが嫌に相応しく思える。それに反するように秋の色を宿し始めた庭の木々が風にさわさわと揺れ、瑞々しい美しさに目眩がする。直ぐ傍に美しい場所がある。それなのに何故自分達はいつもこうなんだろうか、とカレンは自棄になりたくなった。

「あんたと話すと、いつも最後に話が暗くなるから嫌よ。絶対に、気持ちいい気分のまま終わらせてくれないもの。まるで毎回課題みたいに謎を残して、あげく回答もないまま次に続くのよ。いつもいつも。」
「そんなにいつもだったかな。」
「いつも、よ。自分に自信がある振りをしながら謙遜する。自分が嫌いな振りをしながら大切にしているのはいつも自分一人。人を気遣っている振りをしていながら、本当に見ようとはしてくれない。貴方が自分が大切ならそれで良かったのよ、人間なんてそんなものだし。でもね、好きでもないのに好きと言われること、何より自己保身の材料にされるなんて真っ平だったわ。それに気付いたから私は貴方から離れた。」

スザクは苦笑して何も言わない。ロイドは相変わらず特に感想も無いような表情で二人を見守っていた。清々しい風が窓から入り込み、部屋の中を駆け抜ける。紅い髪が揺れるのを頬で感じながらカレンは吹き抜けるような達成感を感じていた。別れてから、ずっと言いたいと思っていたことを言えたからだ。

今から思えばカレンはスザクを愛してはいなかったし、スザクなど話にもならない程カレンのことなど愛していなかった。ただカレンは彼の絵が好きだったから、その感情を彼に向けただけで。スザクはきっとその時傍にいた一番都合の良い人間を選んだのだと思う。別れた後、共通の知人との酒の席でスザクの好きな人のタイプを聞かされてカレンは脱力したものだ。なんだ、自分にかすりもしてはいないじゃないか、と。

互いに好き、と言い合える仲は恋人として定義される。けれど決して愛し合ってはいなかった。

最初から最後までスザクはカレンのことなど見ようとはしなかった。人としての質を理解はしてくれたが、それを必要とはしなかった。自信ありげに話をしてくれる陰で、スザクはいつも暗く目を伏せていた。それが謙遜で納まれば話は簡単だったのに、その上でスザクはカレンを自分以上の位置に置こうとはしなかった。上から手を伸ばし、上から物を言うだけ。それでは卑怯ではないか、と何時しか思い始めるようになって、そして石が坂を転げ落ちるように全てが終わりに向かっていった。

決して対等ではないのに、認めてはいないのに、それなのに愛を囁かれることに彼は何故あんなにも喜ぶのだろう。本当に愛し合っているのなら相手を自分と等価値であると認めるはずだとカレンは思っていた。私が彼にあげる物に、一体どんな価値があるというのだろう。徹底して下位に位置づけられた人間からの言葉、それは同情でもなく遠い尊敬でもなく、賛美ではないか、と段々とカレンは思うようになった。スザクはカレンが自分を愛していることに喜んでいるのではない。誰かが愛する程の自分がいる事に満足しているのだ、と、勝手ながらもカレンはそう結論づけた。そしてそれを間違いだったとは思わない。

スザク自身を含めて、根本的に人に対して不信感を抱いている人間が、人を必要とする理由なんてそれぐらいしか思いつかなかったのだ。

「私はあなたと付き合って初めて、貴方が頑なに人を描かない理由を知ったわ。好き嫌いじゃない。貴方が描けなかったんだ、と知るまで随分時間が掛かった。正直それを知った時の私は、もう最高に気分が悪くって貴方に対して同情なんて欠片も浮かばなかったわ。」
「随分酷い男だったみたいだね、僕は。」
「酷かったわよ。そしてそれを自分で分かってる癖に言うのは卑怯なのよ。」
「何だか一生分の悪口を聞いてる気分だなぁ。ごめんね、カレン。」
「卑怯な人間に卑屈になられるともっと気分が悪い。」
「うん。」

力無く頷いた男をカレンは見下ろす。自分よりずっと背が高い癖に項垂れているスザクは自然と小さく見えて、その存在自体が消え入りそうだった。結局弱いのだ、この男はどうしようもなく。

そしてそれがカレンが彼を捨てきれなかった大きな要因でもある。その弱い横っ面を引っぱたいて矯正してやりたい、と思ってしまう。嫌いな人間を放っておくのに理由なんていらないし、迷いも無い。だから彼を殴ってやりたいと思った時点でカレンの負けなのだ。悔しいことにカレンは自分の質を正しく理解していた。

「でも、貴方の描く人は美しかった。」

その美しさに胸が痛くなる程寂しくなって、そして彼が弱かったことを思い出した。思い出させてくれたと言って正しいだろう。そうして初めてカレンはスザクに立ち向かう切っ掛けを得て、今ここにいる。

嫌いになったけれど、元々好きだった。だからこそその弱さが哀れであり悲しかった。同情と呼んでもいい。きっとカレンからスザクに向かう全てはそこで終わるだろう。例えそれでも。


「だから、その気持ちを亡くして欲しくなかったのよ。」


幸せを願うことの何が悪いと言うのだ。
その為に見ぬ振りをしてきたことを突き付けて殴って、逃げてきた事に立ち向かわせる。



まるで男同士の遣り取りではないか、と思い余程そちらの方が気持ちがよくてカレンは苦笑いするしかなかった。










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