【裏6.75話 帰りたいと願う】






リヴァル・カルデモンドは悩んでいた。正確に言うと俳優のリヴァルは悩んでいた。
芸能界にはいってそこそこ、演技力もそこそこに評価されしかし基本的にやる気のない性格でゆるゆると芸能界を乗り切ってきた俺に、これは一体何の試練だろうか、と。きついことや苦しい事は全力で避けるが信条の俺に、試練は今まさに降りかかっているとしか思えない。芸能界で一番大切なのは人間関係だ。先輩後輩同僚、どこにアラを残してもいけない。そつなくこなさなければ。でないとダルい事になる。だからここもうまく乗り切らなければいけないのだ。いけないのだが、何故、何故に

(枢木スザクという曲者が俺の前に!!!)

バイクを弄るリヴァルの向こうでカメラが数台回っている。今現在撮影中。やることは大して難しくない。バイクを弄る振りをしながら(残念ながらリヴァル自身はバイクに精通していない)友達の『スザク』と言葉を交わしつつ、友情を深めあうというシーン。リヴァルと同じ黒い制服にしなやかな身を包み、笑顔で雑談に興じるスザクに同じく笑顔で応じる。そう、たったそれだけのシーンだ。だが台本が業としか思えないほどリヴァルの首を絞める。リヴァルの胃痛はそろそろ限界を迎えていた。

「そのさ、ですます口調止めない?同級生だし、俺ら。」

むしろ俺が敬語喋りたい。そんな内心の動揺を抑えつつ『リヴァル』はさらりと軽く『スザク』に話しかける。明るく意外と思慮深く、人付き合いの上手い『リヴァル』がリヴァルは心底羨ましかったりする。そんな人付き合いの良さや度胸の良さが十分の一でもあればこんなに辛い時間を過ごすことはなかっただろう。

(まさか枢木スザクにこんな風に敬語で喋らせる日が来るとは…。)

年齢と芸歴にあまり大きな関係はないが年齢=芸歴といえるほど芸能歴の長い枢木スザクに対してタメ口で敬語不問の許可を出す立場になるとはつい三日前までは思いもよらなかった。これが普通の先輩ならそこまで気にならないのだが、何と言っても相手は枢木スザクである。あの、枢木スザクである。

「勝手に跨いだら殺すわよ、って。乗せてはくれなかったんだけど。」

噂はもろもろ聞く。耳ざとさに定評のあるリヴァルの元に日々飛び込んでくる裏話。その中でも一番派手なのは女性関係だ。派手に、しかし途絶える時は塵一つ残さず消え去る。そんな女関係。それをヤツの口から演技とは言え聞く日がくるとは思わなかった。噂で聞いている分には支障がないが目の前で聞くと冗談抜きに恐い。別に噂になっている女というわけではないが、恐い。

(脚本リアリティありすぎるよ…!!)

一体書いたのは何処のどいつだ!とリヴァルは叫び、そーいえばアイツだよな!と一人でツッコミを入れる。空しいほどの一人芝居。敏腕で知られるが若干性格に難ありのあの人に、今度お菓子(嘆願書付き)でも贈っておこうとリヴァルは思う。出来れば自らの精神安定の為に。



そうこうしてリヴァルが悶々している内に撮影は終了した。二分もないのに二時間分ぐらいの疲れを感じる。「カッート!!!」という爽やかな終了の合図を天国の鐘のように聞きながらリヴァルは立ち上がる。全く縁のないレンチを工具箱に投げ入れて、挨拶をしようと枢木スザクの方を見れば何故かヤツはにこにこと微笑んでいた。

(なんでこんなに恐いんだろう…。)

顔だけ見れば実に爽やかである。おそらく外面だけ見れば問題など何一つない。それなのにこんなに恐いのは噂に耳ざとすぎて先入観を持ちすぎているせいだろうか。「おつかれさま。」と言い、握手に右手を差し出してくる仕草さえ洗練されているし、とても自然なのに。

(いい人に…見えるよな。)

リヴァルも丁寧に頭を下げつつ「おつかれさまでした。」と挨拶を返す。右手を差し出して、ぎゅっと握手をすれば漸く肩の荷が下りた。これで、終わりだと思うと現金だが気分が晴れた。(精神的に極度の緊張状態にあったのだから仕方ない)しかし握手が終わるとスザクはまた爽やかに何でもない風にリヴァルに声をかけた。

「ところでさ、リヴァル。そのレンチちょっと貸して欲しいんだ。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

一瞬間抜けにもぽかんと口が開いてしまう。ちょっと聞き取りに脳の理解が追いつかなかった。レンチ、レンチを貸して欲しいって言ったような、とリヴァルはスザクの指の先を見た。指をさした先にあったのは先ほどリヴァルが使っていた大きめのレンチ。

(なにに・・・使うんだ?)

当然の疑問を浮かべてスザクの顔を見たら先ほどと寸分違わぬ笑みが目の前にあり、リヴァルは危うく変な声を出すところだった。例え笑顔とはいえ全く動かなければこんなに恐怖を誘うものなのか、とリヴァルは血の気が引きそうになる。何とか動揺を隠しレンチを取ってスザクに手渡すことに成功し、リヴァルはほっと胸をなで下ろした。

「ありがとう。」

と言われ「ではこれで。」と去ろうと口を開きかけたところで何故かぼびゅ!!という音がした。

(・・・・・・・・・・・・・・・・?)

ぼびゅ!である。何とも可笑しいがそれ以外に形容しがたい音がリヴァルの耳横五センチの距離を横切った。一瞬で硬直してスザクの方を見遣ると(まだ先ほどと同じ笑顔である)その右手には先ほどリヴァルが渡したはずのレンチの姿は既に無かった。もしかしなくとも今さっき超高速で俺の顔面を横切った物体はレンチだろうか、と確かめたくないが何となく確かめないと始まらない気がして物体が飛んでいった方を向く。すると十メートルほど後方の木の幹に、見覚えのありすぎる金属の物体が深々と刺さっていた。(その横で三十代のADがひとり固まったまま動かない)

「っ!逃したか・・・。」

ぎちぎちに固まった首を何とか動かしてそんな声がした方を振り向くと悪役バリの表情で残念そうに眉を顰めるスザクがいた。リヴァルは目視できなかったが、どうやらあの木の所に何かがいたらしい。もしかしなくとも先ほどレンチを投げて十メートル近く飛ばし人間の力で可能なのかというほど深々と幹に突き刺したのは、その人を狙っての事だろうか。確認しておくが、当たったら確実に死ぬ。(当たり前だ)

(えーーーーーーー何してんのこの人!!?)

その場の全てのスタッフの声を代弁したリヴァルの叫びはスザクに届かない。(声に出してないから)まだブツブツと何か考え続けているスザクの正面で、リヴァルは棒立ちで顔面はトイレットペーパーより白くなった状態になっていた。さっさと退散した方がいいが呪縛を受けたように体は動かない。本当にアイツは、今度会ったら、と不穏な独り言を全て耳に入れてリヴァルは可哀想なぐらい動けなくなっていた。そんなリヴァルの様子に漸く気付いたスザクが顔を上げて、また爽やかな笑顔で話しかけた時リヴァルは本気で失神寸前だった。


「あっ、レンチは引っこ抜いて片付けといてね?」


よりにもよってそんな言葉をかけられたリヴァルは遂にその場で卒倒してしまい、その後曲者脚本家の恩恵をいち早く、手厚く受けることになった。


余談だがレンチは大のスタッフ五人がかりで木から引っこ抜かれた。









end